ライコウのブログ

あるキリスト者の個人ブログです。
二極化された世界構図を前に、我々人類は、いかに神様と向き合っていくべきか、思索を深めるきっかけになることを願って発信します。

朝霧の密使

吉凶は糾える縄のごとし
今更、何かを振り返ったところで、何かが変わるわけでもなし。
与えられた小さな力量で、その都度その都度、勝負をかけ、変化に対応しながら、願われた役割を果たしていく、それが人生であり、そこに幸せを感じれば、何よりかも。


取るに足らない経歴なれど、それなりに楽しかった思い出も、今は昔。
いとも簡単に、母体組織を乗っ取られた無念はあるものの、王の心中は遥かにそれを凌ぎ、推し量ることさえ憚られます。


私の道は、ほとんどが政治活動に費やされ、思えば、多くの政治家や先輩方に可愛がってもらってきました、もう、他界された方がほとんどですが。
その意思を知るが故、簡単に屈するわけにはいかない。


かつて、UCの極北といわれ、世間からは右翼とも認識された勝共連合、いや、世界平和連合は、今、時代の要望に応えているのだろうか。
たしかに共産主義は滅んでもいないし、むしろ、その逆ですが、もっと向こう側の敵の本陣が見えてきた現在、戦略を練り直す必要に迫られているではず。
そして、そこにダイレクトアタックをかけている存在は、なんと、UC極北組織ではなく、若旦那とは誰ぞ知る。
世界規模からすれば、アリが巨人に向っていっているようなものです。
絶対、旦那を笑いものにしてはいけない。


母体が揺らいでいる故、本質が狂わされ始めたか、ネパールの件も象徴と感じました。
反共を頭に掲げた宗教団体の援助で、共産党が大活躍だなんて、悪い冗談というか、まるで悪夢を見ているようです。
太田さんには、飯をご馳走になったりと、楽しい記憶ばかりが蘇りますが、それはそれ、お家の事情に振り回され、飲み込まれてしまっていないか、全体組織内では主導権を握れない事情も知りつつも、なんとも悔しいかぎり。
こんな足軽同然より、はるかに優秀な先輩方がゴロゴロいるにも関わらず、身動きとれない様相に、胸が痛むのでした。


それでも、ひとたび有事となれば、立ち上がるであろう先輩方を信じて、これからもツラナリ合っていこうと思っている、今日このごろ。
サンクチュアリへ来たので、最近は敬遠されてるようですけど。


さて、一般論として書きますが、本質が分かっていない人間は、特に政治的な枝葉の事件にばかり引っ掛かり、その視点から脱却する努力を何もしない。
家庭連合だろうが、サンクチュアリだろうが、何派だろうが関係ありません。


ブログ世界だけではありません。
サンクチュアリでも、脳みそを敵に持ってかれてる人はいますし、逆に世間一般の為政者や評論家の方が、冷徹な目を持っています。
そもそも中国が侵略を始めたら、いちいち所属を確認して殺戮をしていくわけでもあるまいし、結局は、ツラナリ合っていくしか道はない気がします。


ゆえに、今の自分にとって、サンクチュアリだろうが、家連だろうが、全員が敵でもあり、味方でもあったりするわけで、まあ、これが個人ブログたる所以ですね。
気張っていこうと思います。

孔雀王

司馬遼太郎の描く作品世界は、歴史背景への洞察が深く、宗教にも精通、あまりに綿密であるがゆえ、知識の浅い一般人の介入を赦さない部分もあり、私なんか、汗をかきながらしか読み進めないし、それでも惹かれていくという、天才のファンになるというのは、なんとも悩ましいというか、困ったものであります。


さて、今回は「空海の風景」から、引用してみたいと思います。
その前に。
話せば長くなるので、少ししか書きませんが、今、自分がこうして在るのは、教会長様ご夫妻の存在がありまして、霊界に於いては、ある高僧さま、さらには、弘法大師さま、他にも幾多の方の存在が確認できております。、
当時、どうしても一人では乗り越えることができない壁、精神も敵の手中にありまして、進退窮まる中、絶対的な援護、攻撃のもと、救い出して下さった代表が、霊界の、このお二方でありました。


サタンの術に縛られ、戦うことが出来ないどころか、朽ちていこうとする自分。
そんな中、日本を強襲する魔人の群れに、敢然と立ちはだかる存在が、満を持して登場、遂に、遂にあなた様までもが、ご出陣下さったのか・・・
憧憬と感動、こみ上げる喜び、当時、そんな感想を持ちました。
まだ若旦那が、沈黙を破る前の事件です。
書けるものなら、いつか書いてみようと思いますが、今回は別件での内容。


孔雀は悪食である。
毒蛇、毒蜘蛛なども、容赦なく食ってしまうことに、非アーリア人の一部族、ドラビダ人たちは仰天し、超能力を持った存在として偉大さを感じた。
そこに「咒」が発生し、孔雀咒なるものまでが出来上がることに。
※(まじない、それを行うときに使う呪文といったところ)


紀元前1600年頃、インドに侵入して先住民を征服したアーリア人は、現代に続くインド的特質を作り上げたが、その思考法は、あらゆる現象を抽象化することに特徴があり、例えば、土俗の孔雀咒をとりあげる場合、孔雀から、まず解毒性を抽出する。
そして、毒とは何ぞやというところから始まり、毒は抽象化された場合、コブラだろうが毒蜘蛛だろうが、毒であることには変わりなく、さらに発展させて、人間の解脱を妨げる精神の毒も、毒は毒という観念に変化。
精神の毒には三種あるとされ、貪ること、怒ること、愚かしいこと。
これらも、孔雀の抽象化された解毒機能にかかれば、すぐさま消滅させられてしまうわけで、こうなれば、孔雀は単なる鳥ではなくなり、その解毒機能は、仏性を備えた、形而上的世界にまで昇華させられ、諸仏諸菩薩の仲間にまで高められてしまうのでありました。


こうして、「孔雀明王」が誕生するのです。
余談ですが、形而上学に対立する用語として、唯物論があります。


さあて、こうなりゃ仏教ヒーローに、キリスト教世界へ殴り込みといってもらいたい。
クリスマスだろうが、ハロウィーンだろうが、イルミナティだろうが、この悪食王に全部、食い散らかしてもらおう。


日本というのは面白い国でありまして、少しですが、その存在が感じられ、例えばハロウィーン。
仮装、コスプレ、バットマンにスパイダーマン?まあ、ダースベイダーもいるけど。
本来、ドルイドの忌わしき祭典なのに、もはや、オリジナルはいったい何だったのか、全く検討がつかないイベントに変貌しつつある様相。
きっと孔雀王が暗躍しているに違いない。


闇に挑む クリスマス編

今年も、そういう季節になってきましたので、軽く触れていきたいと思います。


しかし、これに関しては、子供たちが楽しみに待っていることだし、その笑顔を思い浮かべると、どうしたものか、とはいえ、大人は一応、知っておいた方がいいかもしれません。


すでに、いろんなサイトで検証され、ある程度、正体も暴かれているので、あまり詳しくは書きませんが、12月25日は、イエス様のご聖誕ではありません。
コンスタンティヌス帝が、異教徒を制し、キリスト教をローマの国教にした際、その悪しき祭典、サートゥルナーリア祭を消化しきれず、現在まで残っているという説が有力ですが、後年、キリスト教としては、聖ニコラオスを原点にしようと、巻き返しを図った結果、善悪ごちゃ混ぜの、戦いの日になってしまっているような感想を持ちます。


ツリーも、元はといえば、異教徒の風習の名残で、こうなったら、イエス様グッズを飾りまくり、賛美歌を歌いまくり、異教徒の祭典を完全破壊。
アルター能力者が、物質を原子レベルで破壊し、再構築するという、そんな妄想に駆られながら、私はどちらかというと、今後、この祭典と、どう向き合っていくか、どう料理していくか、そっちの方が気になって仕方ありません。


ここまできて、ある日突然、サンタは悪魔だったと、どうせ大衆には受け入れ不可能だろうし、子供達への説明にも、聖ニコラオスのほうを、無理やりでもいいから説明しまくっていく方が、現実的かと思うのですが、悩みは尽きません、高位の方の判断を仰ぎたいと思います。
もちろん、信仰者として完全に切り捨てていくという手もあるのですが、ここまでメジャーになってしまっている以上、啓蒙するには、なかなか困難な道のりが待ち受け。


こうして、この世の大概の問題の原点は、イエス様降臨以前、古代バビロニアの時代に収束することを、伺い知るわけであります。
古い文明に酔った大衆からすれば、青年は、さぞ、悪魔のように映ったことでしょう。
魔界連中のやりたい放題の時代が続き、ある日突然、名も無いひとりの青年が、それら文化、文明、全てを否定し、破壊し始めたわけですから。


現代になっても、悪しき古代文明を消化できないという、象徴のような、このイベント。
気になる方は、覗いてみてはいかがでしょう。



サンタ / サタンクロースの正体