死の壁を砕け!

赤い侵略とグローバリズムから皇国日本と世界を守る

捏造歴史、WGIPからの解放。反キリスト軍ソロス、ディープステート、イエズス会、家庭連合(旧統一教会)、そして支那との戦い。

この世は闇の「助け人」

どこかで誰かが泣いている 誰が助けてくれようか この世は人情紙風船
耳をすませたやつは誰 泣き声目指して走る影 
この世は闇の 助け人


今回は、ある古武具について書いてみたいと思いますが、関連していろいろ連ねたいと思います。
当時、ある事件に巻き込まれた「必殺仕置人」の突然の打ち切り。急遽、路線修正して、タイトルからも必殺の文字が消されて出発したのが「助け人走る」でした。だが、かえって本来の格調高い時代劇に仕上がった気がするのは、阪東妻三郎の長兄、田村高廣の存在と、脇を固める名優の存在があるから。
とにかく田村の刀を持った立ち廻り、殺陣の上手さが際立ち、さすが血筋というか、申し訳ないが、中村主水(藤田まこと)より、各段レベルは上。


そして、この武具を知っている人は、かなりのマニアだと思うが、形状は刀のように見えるものの、刃の部分はなく、むしろ十手に近い代物で、主に捕り物に使用されたらしい。
「兜割り」と言います。
名前のように、戦闘中、実際に兜を割るわけではなく、相手に打撃を与えて、戦意を喪失させることが目的だったようだ。


ところで兜割りにも、いろいろ種類があって、中山文十郎(田村高廣)の使用するのは、先端がかなり鋭利になっていて、打撃のみならず、突きを想定している。
戦闘では、シーンや相手の力量などに合わせ、長刀などといろいろ使い分け、太刀が使いづらい場面などでは、実に上手く使いこなしているので、見ていると、本当に優れモノだ。
もしかしたら脇差なんかより、よほど小回りが利いて実用性があり、ランボーナイフと似たような大きさでありながら、しかしサバイバルナイフのような多機能性はなく、いわゆる白兵戦の戦闘に特化しているのも魅力の一つで、とにかく田村が持つと、すべて絵になる。


少しネットで調べてみたのですが、多くが打撃に主眼を置いており、やはり打撃用であることが伺える。しかし、私が欲しいのは、突きを想定したやつなので、そうなると、ちゃんと鞘も欲しいところ。かなり値も張ることになるので、今のところ涙を呑んでいますが、いちおう理想とするところのものは存在はしている。


「西郷派大東流合気武術」より引用します。


兜割術は最後の「詰めの儀法」である。矢が尽き、太刀が折れて、白兵戦に至った時に、この術が必要となる。そして、最後の最後に勝ちを得る為には、兜割術の心得がなければならない。
武術で云う「物事を知る」とは、取りも直さず、弛(たゆ)み無い「人間研究」に他ならない。人間研究が至らなければ、物事の道理を知ることは出来ない。


兵法の道を極めようとすれば、修行を積み、智力と気力を磨かなければならない。此処で云う智力とは、「智慧(ちえ)」のことであり、これは古人の教訓と、自身が体験した判断力と注意力である。その上で、一切の迷妄(めいもう)を拭(ぬぐ)い去っていなければならない。こうした状態に自己を高めておいて、はじめて「真の道」に到達することができる。
この道に到達しないうちは、悟りを得るということがなく、体力重視の格闘になってしまうであろう。つまり、「肉主霊従(にくしゅれいじゅう)」である。肉の世界から抜け出し、この次元を解脱(げだつ)して、精神の次元を高めていかなければならない。霊的向上を目指さなければならない。


これ以上書くと、何のことか分からない方が増えるので、この辺にしておきますが、ドラマの最終回は圧巻でした。
阪妻の無声映画「雄呂血」を彷彿させる作りで、大奥相手の最後の大仕事の後、助け人たちは役人に追い詰められ、血路を開くため、助け人「龍」が自らを犠牲に・・・
「棟梁~~~」と叫びながら、役人を道連れに、川に身を投げていきます。
こうして、助け人たちの末路までを描いた、悲しさに包まれつつ、静かな余韻を残す最終回は、シリーズの中で、燦然と輝いているのでした。


番組中盤から登場した「島帰りの龍」
この頃は「仮面ライダーV3」とは同時期に撮影されており、「龍」は宮内洋の、もう一つの当たり役だったと思います。
子が親を生かすために死んでいくようなシーンであり、胸が痛む。


助け人の存在を証明する記録は 何も現存していない
ただ 江戸の庶民達は彼らを義賊という名で
あるいは世直しという名で 密かに語り続けた
伝えられる闇の助け人の総数 二十六人