死の壁を砕け!

赤い侵略とグローバリズムから皇国日本と世界を守る

捏造歴史、WGIPからの解放。反キリスト軍ソロス、ディープステート、イエズス会、家庭連合(旧統一教会)、そして支那との戦い。

迷走!小沢一郎 男

小沢一郎の件で、読者からご質問があり、つづきはこちらで、庶民レベルですが、軽く触れていきたいと思います。


そもそも、現代史の日本国家の迷走の1コマは、田中角栄が大きく起因していると思うのですが、それは、中国と国交を結ぶことによって、結果、台湾は切り捨てられ、アジアにおける日本の針路が決定づけられていったことです。
政府の後押しを受け、財界もその流れにのって、巨額の援助や投資。


こうして赤い貧乏国家が一気に金持ちになると、いったいどういうことになるか。
ぬくぬくと日本の経済、盗んだ技術を餌に肥え太り、今では、その矛先を日本に向け、赤い思想ゆえ、恩知らずどころの話ではありません。中国を肥え太らせたのは、まぎれもない日本であり、だから、こういう根っこのところでの、責任をとってもらいたい方は、山ほどいる。特に自民党の中に。だからと言って、大陸の赤鬼の片棒担いでいる野党なんて、話にもならない。


今回は、角栄ではなく、その懐刀、小沢の件なので、この辺にしときますが、正直、この方に、私はついていけない。与党時代と、野党時代、共に選挙で剛腕を発揮しているも、一貫した思想性がまったく感じられず、そもそも両方で剛腕って、どゆこと?


韓国に対しての行動も気になり、ソウルの抗日テロリストの墓地を参拝したり、永住外国人の地方参政権に甘々だったりするが、与党の移民政策を批判したりと、そこそこ正論もあるので、余計混乱してしまう。


(2009年、韓国の国民大学での発言)


結局、かつて総理にしたい(近い)男 No1と騒がれたほどの男が、辿り着いた先は山本太郎(また分裂しましたが)で、今はまた元鞘?国民民主党。
当時、「国民の生活が第一」とか「生活の党と山本太郎となかまたち」とか、この頃の動きはよく理解できず、「山本太郎の生活が第一」みたいに感じていたものです。


いつか民主党時代?だったか、小沢は「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」という19世紀のイタリア貴族の没落を描いた映画「山猫」の一節を引用。ひところ同じ側にいて、手腕を見てきた小池百合子が、この言葉に感銘を受けてますが、似たような思考なのか、少し同じ匂いがする。


これも「我々ショッカーが変わらないために、変わらなければ・・・」と変換したほうがいい気がするが、まさか、ゾル大佐?
「貴様が仮面ライダーに変身できるように、私も変身できる・・」
このあと、オオカミ男に変身して、2号ライダーと死闘。


父、母、もちろん日本人ですが、ともに帰化人。
こういうところは、あまり突きたくないのですが、あの、アマチュア・ボクシング連盟事件の山根明といい、今度はテコンドー協会・金原昇。
種目の出自、髪型、価値観、どう考えても、半島出身者でしょ。


思想なき力の論理は、この人たちの共通価値観なのかも。
日本は、こういうのから、早く脱却しないといかんと思う。


最後に教会関連 2代王キングスレポートよりオオカミ関連の抜粋

2019.03.19.(火)

オオカミは狡猾です。オオカミは皆さんを堕落させ誘惑の沼に陥れるために、美しい、あるいは可哀想で弱い姿の女性として来るかもしれません。

今日のリマは本当に霊的に真のお父様が導いてくださったと思います。 皆さんの近くでオオカミがよだれを垂らしながら、赤い口を開けて皆さんが霊的に怠けて、弱くなる瞬間を待っているという事実を忘れないでください。

どんな馬鹿でも敬拝精誠ができます。 しかしその馬鹿げた気持ちで、女性神の堕落したエバの女神を連れてくるならば、その敬拝精誠は皆さんをサタンのオオカミの口へ歩いていかせるでしょう。真のお母様の女神化で、皆さん自身が女神になりたいその欲望を皆さんの心から完全に消してください。

在日朝鮮人小沢一郎の生い立ち


小沢一郎=父親(朝鮮人)+母親(朝鮮人)

父・小沢佐重喜(オザワサエキ)戦中、東京市下谷区御徒町で自称弁護士として北朝鮮の工作員として活動。

北朝鮮の工作員として北朝鮮独立開放のために日本で活動。戦後、岩手方面に進駐した「朝鮮進駐軍」指導者となり拠点を作る。


小沢一郎の父・小沢佐重喜は、悪名高い朝鮮進駐軍小沢部隊、戦後に日本人を殺害していた朝鮮総連武装集団。

父親は浅草の香具師(麻薬売人)で、その56歳のときの三男として東京下谷に生まれた。

小沢一郎の母・荒木ミチは、韓国済州島の朝鮮労働党員で、コーリアン売春宿の女将だった。

母親(通名)荒木ミチは内縁で、父親の籍は入っていない。

小沢一郎には、二人の実姉のスミ子、則子がいるが、養女というかたちになっている。

その頃に浅草の泥棒市で日本人の戸籍を入手。

小沢佐重喜という名前は、当時多くの北朝鮮工作員が、使い回して居たとの説が多い。

そして、小沢一郎は岩手水沢に出生としているが、その田舎の住民は小沢一郎が居たのは中学一年の一年間だけと言う。

小沢一郎の母・ミチの墓は、韓国済州島にある。


出典:松田賢弥『闇将軍 野中広務と小沢一郎の正体』(講談社)