死の壁を砕け!

赤い侵略とグローバリズムから皇国日本と世界を守る

捏造歴史、WGIPからの解放。反キリスト軍ソロス、ディープステート、イエズス会、家庭連合(旧統一教会)、そして支那との戦い。

銃と刀と私 多羅尾伴内編

サンクが銃を構え、自民党も、ついに伝家の宝刀を抜き、それぞれが戦いを始めた。自民結党以来の悲願、憲法改正まで、ぜひ辿りついてほしい。そんな流れで、もう少しいきたいと思います。


時は戦後、GHQの占領政策により、一時期チャンバラ映画が禁止された時期がありましたが、その代替のような格好で制作されたのが、この伴内シリーズ。剣劇禁止の中、刀を2丁拳銃に置き換えられて立ち回る姿が、当時多くの庶民に受け入れられたのでしょう。興行的には大成功でした。ついつい自分がこだわってしまうのも、結局このおっさんの影響が大きいのかもしれないと、つくづく思う節もあります。


伴内「よう、おめえ、ちゃんと生きてるか」
私「うるせえ、わかってるよ」
今でも、頭の中で、そんな会話がなされているような気がします。


設定は大正生まれ、昔、稀有の大泥棒、傷だらけの過去を悔い、贖罪のための人生行路を行く、藤村大造。この映画にリンクするかたちで、1978年に発表された小池一夫原作、石森章太郎画の作品がありますが、かなり自分は影響を受け、老いて朽ちる前に自分の意志を継ぐ者を育てようと奮闘する晩年の伴内と、2代目誕生を描いたこの作品が好きでした。


銃への関心はこの頃。コルトに愛情を注ぐガンマニア紙袋順平の影響。伴内がチャラチャラと格好よく拳銃を振り回すだけで、対立する2人。
順平「そんな人も撃ち殺せねえような22口径なんかで、イキがるんじゃねえ・・・」
それに対し、製作者の意図と、存在の意義、コルト愛を熱く語りだす伴内。



なんとか見出した2代目候補の順平でしたが、大上段に構えながら言うあの決めゼリフだけは「あんなもの、自己顕示欲以外のなにものでもない」と、かたくなに拒否。しかし先代最後の事件。拳銃で手足をもがれ、血みどろになりながらも、犯罪者を前に
「あるときは・・・あると・・・き・・・」
そうつぶやきながら、絶命していく先代の姿に、順平の心は爆発します。


号泣し、犯人に向かい、叫ぶ順平。
「あるときは片目の運転手、またあるときは大富豪の紳士・・・しかして、その実体は・・・正義と真実の使徒、俺は、俺は、藤村大造だ!」
先代から2代目へ。引き継がれる鉄の意志。世代交代の感動の瞬間。
正義と真実にこだわり続けた男の生き様に、すべての言葉が吹き飛んでいきます。


さて、現実世界へ戻ります。
失楽園事件、アベル殺害事件の肝は、すべて、ある方が解いてくださいましたが、そこから派生する、多くの関連事件は、歴史に潜み、残されたまま。
ここは我々が、なんとか解決していくしかない。
もしかして、悪と闘うというのは、漫画のように派手な戦闘をイメージする人がいるかもしれませんが、実際のところは、金の流れを追う地味な作業になってくるはずで、例えるなら、脱税を追う国税庁の職員を想像したほうがいいかもしれません。


イエスが語られた「人は、パンのみに生きるにあらずや」
これは、実に核心をついており、まさに、その逆を行く連中が存在し、人はパンのみに生きるものと信じて、闇に潜み、この世をかく乱してきました。


戦争をするには、お金が要り、そこに資金供給してきた奴が、真犯人であり、ご存知の方もいると思いますが、グローバリズムの中枢にいる、それらの存在に、私達は対峙していきたいと思うわけです。



【実銃データ】コマンドー【映画】