ライコウのブログ

あるキリスト者の個人ブログです。
二極化された世界構図を前に、我々人類は、いかに神様と向き合っていくべきか、思索を深めるきっかけになることを願って発信します。

原点回帰への道

幼い写輪眼の映し出す世界は、まだまだ小さい。
地上にも、霊界にも、2重3重にブロックが懸かっていて、それらを掻い潜って真理に到達するのは容易ではないし、こちらにも、相応の用意がいる。
即ち、祈り求める行為、苦悶の期間、善なる条件、あたり全員を敵に回してでも、神様を信じきる覚悟、様々な内容を満たしてこそ、おそらく辿り付けるものだと感じますし、それらが揃わない御人には、いくら目の前に真実が横たわっていようが、おそらく一生、なにも感じることはできない。


そういう自分も、なにかを満たして立っているわけではありませんが、相棒のおかげで、かろうじて、立ち位置だけは確保できた感が強い。
こいつを送ってくれた神様に、とにかく感謝するしかない。


カール・マルクス、かつて共産主義思想が、失墜した資本主義の懐から起こったように、悪魔は非常に身近なところから勃発したとしても、何らおかしくはないことに気づきます。それが、家庭連合であり、偽基元節。
もう一度、振り返って見るのも大事なことかと。


ヨハネの黙示録 第17章4~6節
この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。
わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。



私は、そう知りましたが、さて、皆様は、これを、どう読み解く?
あちこちネットサーフィンされてる方も、いつかは腹を決めるといいですね、さもなくば、いずれ行く霊界では、神様とは何の関係もない永遠世界。


門を叩かねば、絶対に開けてはもらえません、結局のところ、私たちは必死で尋ね求めるしか道はないのです。