ライコウのブログ

あるキリスト者の個人ブログです。
二極化された世界構図を前に、我々人類は、いかに神様と向き合っていくべきか、思索を深めるきっかけになることを願って発信します。

撃沈

教会関係の内輪話です。
ご指摘があったので、そのことに少し触れます。
以前、書きましたが、このブログは外向きに発信しており、当初から、あまり教会員どうしの交流を想定していなかったため、ぼかす意味も含め、表現も多少、故意に変換してきました。


例えば、亨進さま
これは、自身の、アジア人特有のというか、古しき価値観からくるものなのですが、古来より、存命中の尊崇なる偉人に対しては、礼を失しないよう、決して、その名を直接的に表現してはならないと教えられ、通常、役職位名であったり、出身地名であったり、そういうところから呼称する場合が多く、そんなところの話です。


大河ドラマ「真田丸」は、ご存知でしょうか。
元服をすませると諱(いみな)と、烏帽子親によって仮名(けみょう)が与えられます。「真田」が苗字、「源次郎」が仮名、「信繁」が諱(いみな)


あの大将、織田信長に関しても、「信長様」と諱(いみな)で呼ぶことは大変失礼なことでした。
官位を持っていない武将の場合、仮名(けみょう)で呼ばれることが一般的で、諱で呼ばれることはまずなく、特に位の高い相手を諱で呼ぶことは失礼に当たり、よって、「信長様」と呼ぶことはまずありえません。
石田三成も、時代考証のしっかりした大河ドラマなどでは「治部少(じぶのしょう)」や「治部殿」と官途(かんど)で呼ばれていたし、やはり諱で呼ばれることはありませんでした。


三国誌など、中国の歴史に関心のある方は、さらによくご存知かと思いますが、諸葛亮孔明というのは日本人が考えた呼び名で、正しくは諸葛孔明。
直接姓+名で呼ぶことは失礼に当たります。
 姓:諸葛
 名:亮
 字:孔明


さらに、私が時々使用しておりました、「旦那」=檀那(だんな)という言葉。
本来は仏教用語らしいですが、奉公人がその主人を呼ぶ場合などの敬称にも使われているところから使用しましたが、もしかして、ニセ時代劇などの汚染された価値観で、とらえられてしまったか。


婉曲的表現で敬意を表していたのですが、たしかに現代的価値観からすると、「ペンシルバニアの旦那」では、そうとう俗っぽく映ってしまうので、「2代王」でよかったのかもしれませんが、そうなると、今度は一般の方が「なんじゃそれ~」みたいになるし、実は、私にとって大変悩ましい問題だったのです。
ネット世界では、実際のところ、「亨進様、誰それ~」の世界で、書いていると思ってますし、外向けというのは、そういうこと。


ともあれ、時は現代、反省も踏まえて、時流にあわせていこうと思います。
続編があります。


詳しくは下記を。ここからの引用です。