ライコウのブログ

あるキリスト者の個人ブログです。
二極化された世界構図を前に、我々人類は、いかに神様と向き合っていくべきか、思索を深めるきっかけになることを願って発信します。

ネコパンチ

カテゴリー違いの方も、時々訪問してくださっているようで、ありがとうございます。
いろんな十字架を背負いながら、笑顔で精一杯生きてらっしゃる方々や、前回は、なぜか、わんちゃん、ネコちゃん愛好家が揃ってきてくださったりと、いろんな方が読んでくださっているものだと、不思議さに包まれつつも、想像とは違うところに届けられてしまっている感じに、どうも笑えてしまう一面があり、急遽、感謝を込め、動物編。


さて、聖書では、悪魔サタンが、たびたび、ヘビ、マムシに例えられ、登場してきますが、当然、実際のヘビが、悪魔というわけではありません。
しかし、その性質、攻撃力は、まさに、そのものなので、本物から、いろいろ学びとることも、けっこうあったりするものです。


で、いかに攻略すべきか、教訓となるのが、猫なのでした。
絶妙な間合いの取り方。
決してあわてない。
一瞬の隙をみて、ネコパンチ、ネコパンチ。
しかし、深追いはしない。
時に、よそ見をするしぐさは、油断させるためなのか、余裕なのか。
攻撃されれば、軽やかに身をかわし、蝶のように舞い、蜂のように刺す、ヒット アンド アウェイ。


そうこうしているうちに、ネコパンチは確実に相手を捕らえ、一撃を喰らうたびに、確実に消耗していく対戦相手。
もう、手も足も出ない、マムシなのでした。



猫つよし。



河野談話という悪霊

私用で、すこし間が空いてしまいました。
さて、このタイトルは、ジャーナリストの櫻井よしこ女史が書いたものからの引用ですが、まさに、そのものだと感じて、今回はこれに触れてみますが、前半は内向きな内容のため、一般の方は、ご容赦ください。。


実は、個人的に、随分、日韓関係に横たわる問題に苦しめられてきまして、実際のところ、歴史の真実の姿は、いったいどうなんだろうと、いつも考えてきました。


中でも、この慰安婦に係わる、閣議決定された公式発表ではないにしろ、談話という形で政府が発したからには、ある程度、信憑性があると勘違いしてしまう代物。
その昔、日本統一教7代会長までもが、韓国に頭を下げる格好になったのも、この河野談話が背景にあったことは想像がつきますし、とんでもない代物だと思ってます。
おそらく、家庭連合にとっても、サンクチュアリにとっても、あまり触れて欲しくない箇所だと知っていますが、それにこだわって、方向性を見失ってしまうことの方が、重大事項なので、軽く触れておきます。


談話自体は1993年のものですが、その後、なんら証拠もなく、検証もなく、まるで悪霊のように「慰安婦」という言葉が独り歩きしはじめ、安倍内閣になって、ようやく、その背景が明るみに出てきました。
この辺は、安倍さんはじめ、現内閣の関係者や、維新の山田宏さんに、本当にありがとうと言っておきたい。


簡単に言うと、河野談話は、「女性たちの名誉を守るため、日本側の善意で出されたものだった」はず、と思ってます。
ところが、そんな善意も、どこ吹く風。
絶対、切ってはならないカード(慰安婦)を切って迫ってきた韓国。


本当に、このカードは、絶対に使ってはならなかった。
とはいえ、これによって、動くべき人々が、いよいよ動き始めたのも事実。
聖書にあるように、隠されているもののうち、明るみに出ないものはないのですねえ。


そして、何の因果か、安倍改造内閣で、外務大臣に就任した、河野太郎。
談話の件があったので、大丈夫か?と、私は不安だらけだったのですが、意外や意外。
中国を相手に、「大国の責任を果たして欲しい」
韓国を相手に「慰安婦合意を着実に履行せよ」
おそらく、中韓にしてみれば、あの息子ということで、ぬか喜びだったかもしれない。


こいつ、もしかして化けるかもしれん。
そうだ、太郎、それでいい。行くのだ太郎、どんと行け。
もし「俺を、あんなクソオヤジと一緒にしてくれるな」くらいの覚悟でいるのなら、これからも、ぜひ応援していきたいと思っています。


やや話を戻しますが、民間のいち代表が、政府に先走って、頭を下げるだの、なんだのと、決して私も歓迎できる内容ではありませんでしたが、もし、この問題を、教会問題に絡めるのであれば、「やめといた方がいい」くらいは言っておきます。
ヘビのおっさんは、皆の正義感が大好物ですからねえ。


少しだけ裏も知ってますが、この問題の解決は、一つ上の階層になってくるので、今は立ち入らないほうがいいと思います。
あくまで、私の想像ですが、これを突つきすぎると、教会問題ですまなくなる。
狭小な正義心が国を滅ぼしかねないし、とにかく国益に沿わない話題。


ということで、こんなクソ話、放っといて、次いきます。
あ、エネルギー切れ。





闇に挑む タルムード編

日本人の特質として、他の文化に接したとき、その寛容さゆえに、多くの思想を、何の疑念もなく、受け入れてしまっている部分があると思いますが、たとえばダーウィンの進化論。
こんなもんが大手を振って歩き、NHKまでもが「ダーウィンが来た」と、べつに頼んでもいないのに、唯物思想のオッサンに勝手に来られ、いいかげん子供の教育番組に、このタイトルなんとかならんのかと、いつも感じてしまう今日このごろです。


さて、本題。
こいつは、ぜひ知っておいてもらいたいと思ってる内容です。


ユダヤの基本教義となるトーラー。
モーセ五書とも呼ばれ、旧約聖書の最初の五書、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記で構成されていますが、それがどのように解釈されるかを示したものが、タルムード。


16世紀の大改革者、プロテスタントの祖、マルティン・ルターは、聖書をドイツ語に翻訳しようとした際、正確な解釈を行うため、ユダヤ人の信奉する、タルムードを参照。
しかし、その結果、恐怖を味わうことに、なってしまうのです。


なんと、タルムードなるものは、「ユダヤ人は世界の所有者、支配者になる」という概念で構成されていたのでした。
行き過ぎた選民思想というのは、今の韓国、両班思想にも繋がるものがありますね。
ユダヤ人の箇所を、韓国人に置き換えても、悲しいかな、ほとんど通じてしまう。


欺瞞に満つる解釈に気づいたルターは、伝統的なキリスト教解釈を拠り所に、ユダヤ人による憎しみに満ちた解釈を猛批判
「ユダヤ人ほど、血と復讐心に飢えた人々は、かつて存在したことがない」と、はっきり書物に残しました。


ユダヤ人が非ユダヤ人を殺すことは罪ではない。
非ユダヤ人に対して約束を守らないことは、罪ではない。
ゆえに、彼らが金貸しで行っているように、非ユダヤ人から盗むことは、神への奉仕である。
実に、かれら(ユダヤ人)は世界の主であり、我々は僕であり、家畜であるという思想なのでした。


この辺りで、少しはお気づきの方もいるのではないでしょうか。
その血を引き継いでいる彼らこそ、シオニストであり、まさしくグローバリズムそのものであるのです。
そして、その根幹を、500年前、すでにルターは、改革の出発時点で看破していたことは、実に見事であり、その偉大さに感嘆します。


息のかかった教会は、この辺の事情を、うやむやにしようとしているようですが、今も昔も、タルムードの内容は、変化なく存在し続けています。
そして、現時点で問題なのは、多くの人が、問題の原点に気づけず、今なおユダヤ系メディアなどに、翻弄されてしまっていることだと思います。


私は思うのです。
そろそろ我々は、騙しの本体に気づき、ルターが、いや、2000年前、イエス様が、本当に戦おうとしていた敵の正体と、向き合うべき時なのではないのだろうかと。



ユダヤの聖典タルムード思想に基づく世界支配


マジかよ、タルムードくん