ライコウのブログ

あるキリスト者の個人ブログです。
二極化された世界構図を前に、我々人類は、いかに神様と向き合っていくべきか、思索を深めるきっかけになることを願って発信します。

沈没生活

本当に久しぶりに、PCに向き合ってますが、いまだ多くの方が、訪ねてくださっていたようで、まずはありがとうございます。
そこで、軽くお知らせをしておこうと思います。
すでにブログ村会員で、足跡を残しながら、よく我が家に訪ねてくださっている方へは、敬意を表しながら、ほとんど逆訪問させていただいております。
そして、世間を知るうえで、大変見聞が広まり、共感することも多く、心情も満たされることが、なんと多いことかと、自身の勉強にもなり、感謝しております。
ですが、わたし、根っからの、ものぐさの気まぐれで、これからは自分のペースを保つため、訪問しつつも、足跡は若干控えさせていただきます。
これからも、皆さまの、よき愛読者であることには変わりありません。


さて、餅は餅屋・・・と言う様に、人にはそれぞれ得意分野があるように、おそらく人の世そのものが、全てがそのように成り立っており、それぞれが支えあって生き、構成され、それが、神様に通じる世界なのではないかと。
つまり、自分が出来ないことを、苦手な分野を、実際、誰かが戦っていてくれる・・
だから私も、だれかができないことを・・・
そんなふうにも、考えられます。


出発時の混乱があったので、このブログは、不特定多数の、内容もあまり特化しない形でこれからも行こうと思いますが、好意的に訪ねてきてくださっている方は別にして、かつて少し問題があったので、そうでないサンク会員に関して言いますと、もっと自身の活動に時間を注いだほうがいいのでは・・・
これからも、有意義な内容を提供は、していきたいと思います。


そろそろ、本題・・・
そもそも悪魔の呪縛は、そう簡単に解けるものではないし、いったいこの文化そのものと、どうやって闘ったらいいか、途方に暮れる日々が続きます。
みなさん、どのくらい自分は、魔界の力から解放されていると認識しますか。
すでに借金を背負っているだけで、悪魔の術中ということです。
そもそも、キリスト教の価値観では、利息などという考え方は存在しないし、そう曲げられていったのは、ユダヤの価値観が中核となって、排除できずに来た歴史が存在するからで、我々人類には、おそらくそういうところまで掘り進んでいかなければ、真の平和は訪れないでしょう。


巧妙な魔界の歴史工作によって、歴史の大罪人は皆、不要な汚名まで着せられてしまっている始末で、なかなか真実に辿りつかせてくれない。
西太后の件もあるし、ヒトラーの件なども、実に奥深い。


おそらく国母であったろう西太后の失脚後は、蒙古族が駆逐され、漢民族が台頭、今の中国の原型が出来上がったとされますが、裏を知れば、まったくの陰謀だらけ。
イギリス人スパイとされる、西太后を悪女に仕立てたバックハウスの書物を未だまんまと信じている現代人は、過去の人物の幻術にかかったままと、言えなくも無い。
侵略、殺戮虚偽国家の原点に、悪魔の侵入経路を見る人物は、どれくらいいるだろうか。
ダーウインの進化論もそうですよね。
こういうことを堂々と学校で教えること事態、いかがなものか。


歴史の要所、要所に悪魔が知恵を巡らし、知恵者さえも翻弄し、あざ笑う。



怪奇大作戦, S.R.I. und die unheimlichen Falle - Theme Song


沈没を破って

沈没を破って一時浮上、そして、潜航モードへ


かなり間が空いてしまいました。そもそも、ストレス発散も兼ねて始めたつもりでしたが、あるところで、質の問題に落胆したり、ネットの限界も感じたりと、いつの間にか、逆にストレスを溜め込む結果に発展してしまったので、いったんネットそのものから離脱し、沈没生活を満喫。


おかげで、いろんな作品が仕上がった。
丸ノコ、チェンソー、インパクトドライバーをメインツールに、材木を担ぎながら庭作業。パーゴラ、ガーデンシェッド、ベンチ、ガーデンテーブル、その他いろいろ完成。
昔は絵画や模型など、いろんなことをしてましたが、今は、こういう実用的なものの方に、遣り甲斐がある。


もともとは、ある霊人との交流の中、ゆくゆくは仏像でも彫るようなことを宣言した手前、体馴らしに始めたDIYだったのですが、なかなか自身の成長が芳しくなく、心を彫りこむことへのハードルの高さなどに気後れしたりしてるうちに、むしろ工作技術のほうが上がってしまって、どうも妙な方向になってしまった。


関心も、彫刻など芸術活動より、ブッシュクラフトやサバイバルに移り、都会生活者からすれば、贅沢に映るでしょうが、何年か前にゴットから土地を託されたのを機に、ビオトープの思想を取り入れ、小さな庭に、大自然の循環を縮小させたような世界を創り出す作業が大好きになり、もう止められなくなってしまった。
しかし、神様の創造の喜びにも繋がって、感じる世界は大きいのでした。
数年前には、「ホーホケキョ」とウグイスが巣を掛け、今年はホタルが迷い込んできたり、トカゲが遊び回り、小さなヤモリも確認できたので、苦労の甲斐はあった。


これも数年前になりますが、山で熊に遭遇して以来、登山には気が引けてしまって、結局、庭作業に方向が向いてしまったが、男というのは、結構いろんなことにチャレンジしたがるもので、時間さえあれば、ミツバチの飼育や、サバイバルのため、マムシ狩りも身につけておきたいと、想像はしているところ。


それにしても、自衛隊の友人は、いろんなことを教えてくれる。
青大将なんて、臭くて食えんが、こいつなら、結構いけると聞いた。
おそらく、獲物を締め付けて丸呑みするタイプは、骨もしっかりしていて不味いが、毒で殺すタイプは、軟骨なので、けっこういけるのかもしれない。
問題は、捕獲時の毒牙対策だけで、そうなると、もはや毒蛇以外には関心が薄れ、全てが食料に思えてくる。
カラスだって、臭くて食えんが、脳みそは結構いけるらしい。
デンゼルワシントンも、ある映画の中で「ディナー」と言っていた。



今夜もEAT IT/アル・ヤンコビック


私は武道をやっていないので、どこかの猛者のように、熊との格闘は無理。
会社の先輩の身内は、猟銃持って、熊、鹿、猪を追い掛け回しているようですが、仕事はIT関係らしく、なんかすげー、そんな人もいるんだ・・と思う、今日このごろでした。


それでも、いつかは、芸術活動に舞い戻ってきたいと思っている自分がいる。

撃沈2

その昔、プロテスタント教会に通っていた時期がありまして、牧師さまに教わったことがあります。
旧約聖書に出てくるバアル神など、当時の人々は、預言者が現れるまでは、その存在こそが唯一絶対の神様であると信じ、決して、カルトな悪魔崇拝者たちが成すように、「ははあ、親愛なるサタンさま~~」と、頭を垂れ、敬拝を捧げていたわけではありませんでした。
おそらく、現在のキリスト者と同じような、礼拝に近い感覚であったと思われます。


たとえ悪魔の頭であったとしても、それを知らない人々にとっては、あくまで、絶対者であり、神様であり、生贄など捧げれば、五穀豊穣などの恵みさえ受け、人々の生活の中心に君臨しつづけるのでした。


さて、そういう事情を知るものとしては、この「神様」という言葉は、大変扱いづらいもので、身内以外では、あまり使いたくありません。
どのようにでも解釈されてしまいますから。
そして、過剰に使用すると、非クリスチャンから、こう言われるのがオチかもしれません。
「おまえんとこの神様は、強え~~か」
ドラゴンボールの世界が展開します。


多少、意味合いは違いますが、かつて、森喜朗内閣総理大臣(2000年当時)が、神の国発言で、内閣退陣に追い込まれ、「神の国解散」と呼ぶことが定着してしまった経緯も存在し、突っ込んで考えると、本当に厄介。
(挨拶文の一部だけを意図的に抜き出して曲解する、マスコミの異常さは常に際立つ)


上記のことを踏まえ、多少警戒しながら、外向きに書いてきたつもりですが、そこで、これは、あくまで個人的な感覚からですが、そういうキリスト教文化が浸透しきれていない、日本の事情に鑑み、さらに、歴史マニアの私の感覚からすると、当時、信長や秀吉に仕えていた配下が、親しみと大いなる尊敬を込めて放っていた言葉、「親方さま」「親父(オヤジ)殿」という尊称は、神様を表わすのに、非常に、しっくり来るものがあり、あまり深い思慮もなく、私も使用させてもらっていましたが、個人的には呼び名がどうだろうが、あまり関心がありません。
ただ、発信もとはどこか分かりませんが、気になる方がおられるようで、そこは謙虚に反省し、改めようと考えているところですが、このブログを読まないという選択肢も、手かと思いますので、お知らせします。
たぶん、同じお仲間なら「神さま」で、問題ないのでしょうが。


こういう件があったので、少し方向は変えていきたいと思います。