死の壁を砕け!

赤い侵略とグローバリズムから皇国日本と世界を守る

捏造歴史、WGIPからの解放。反キリスト軍ソロス、ディープステート、イエズス会、家庭連合(旧統一教会)、そして支那との戦い。

統一教会問題の本質は反日・再臨論 ~講論(韓国版)と(日本版)の2面性~

日本信者に対する過酷な献金。
統一教会日本人信徒は、これと愛の教えとを、どのようにバランスをとって折り合いをつけてきたか。
ふつうに考えれば、これは全く異質なベクトルを持つものなので、それぞれの中で整合性をとるためには、並々ならぬ努力を必要としたはず。しかし、それに正当性を持たせてきたのが、日本侵略史観ということになる。
そして、その発信地が再臨論。
以前、書いてきたことの焼き直しになりますが、結局、最後はここに辿り着いてしまう。


だが何らか恵みを受けた家庭もあり、そういう家庭には何も言いませんが、一方で山上家のように、それとは真逆の家庭も多いのが現実なので、触れていくことにします。


1998年 3月29日 - 文鮮明は韓国で行った説教で、信者に対し、日本国内の預貯金は「皆さんのためのもの」と語った。



これらの記事も、すべて原因はそこから来ている。
韓国版の講論は、かなりえげつなく書いてあるようですね。日本にはない記述もかなり多く、もし改革していくなら、そういったところも、これから照合していく必要があるでしょう。


そもそも日本信徒と韓国信徒に対する内容が違うので、文氏の2枚舌ともとれる。イサクさんのように、それらを知った方から離脱していったのでしょう。やむを得ないと思います。
資料として師観さんのブログより、今回も抜粋させていただきます。


【講論(韓国版)・反日・再臨論】
「古くから東方の国とは韓国、日本、中国の東洋三国を言う。ところがそのうちの日本は代々、天照大神を崇拝してきた国として、更に全体主義国家として、再臨期にあたっており、また以下に論述するようにその当時、韓国キリスト教を過酷に迫害した国であった。
そして中国は共産化した国であるためにこの二つの国にはいずれもサタンン側の国家なのである。したがって端的に言って、イエスが再臨される東方のその国は、すなわち韓国以外ない」


「西暦1910年、日本が強制的に韓国を併合した後には、韓国民族の自由を完全に簒奪し、甚だしくは皇宮に侵入して王妃を虐殺するなど、悪逆非道な行為をほしいままにし、1919年三月一日韓国独立運動の時には、全国いたるところで多数の良民を殺傷した」


 「さらに、1923年に発生した日本の関東大震災の時には、根も葉もない謀略をもって東京に居住していた無辜の韓国人たちを数知れず惨殺したのであった」


 「一方、数多くの韓国人たちは日本の圧制に耐えることができず、肥沃な故国の山河を日本人に明け渡し、自由を求めて荒漠たる満州の荒野に移民し、臥薪嘗胆の試練を経て、祖国解放に尽力したのであった」
 
 「日本軍は、このような韓国民族の多くの村落を探索しては、老人から幼児に至るまで全国民を一つの建物の中に監禁して放火し、皆殺しにした。日本はこのような圧政を帝国が滅亡するまで続けたのであった」


 「しかし、日本の天皇が第二次大戦において敗戦を宣言することによって韓国民族は、ついにそのくびきから解放されたのである」
(原理講論『再臨論』より)


史実や資料に基づいていない。捏造史観から来る思い込み。歴史に対する無知が甚だしい。
離反者が出ても仕方ないのでは?


旧統一教会は、戦後朝鮮半島で生まれた宗教であり、日本統治時代をかつて迫害されたユダヤ人悪時代になぞらえて、迫害され支配されたからこそ救世主がこの韓国に誕生するのだという信仰が生まれたのも、確かに韓国にとっては歴史的な意味があるかもしれない。


 ここで述べられているのは余りにも単純化した「日本悪玉史観」である。まるで朝鮮半島でジェノサイドが行われたような一方的な記述や、満州への移民を抗日運動と直結させるような(それこそ金日成の抗日運動を美化するような)記述などは、現在では例え日本統批判的にみる人でも通用しない暴論であろう。


 このような歴史観を認めることができない政治家や知識人たちは、旧統一教会主催の集会などに出席したり、メッセージ・祝電を送ったりすることには慎重であるべきであろう。このような歴史観が信仰と結びついたとき「サタン」側の日本人の財産を神の側に奪還することが正当化されるのは容易に想像できることである。


 同様に、旧統一教会は、現在、「世界平和統一家庭連合」を名乗り「家庭」結婚制度の重要性を強調している。

保守派の中には、ジェンダーフリーや行きすぎたLGBT論、また家族解体論に抗するものとして共闘が可能であると考える人もいるかもしれない。

 だが原理講論に見られる強烈な「原罪意識」とそこから来る性への抑圧意識は、日本神道の持つ自由でおおらかな精神とは真逆なものであることを忘れてはならない。

これは教義に関するもので詳説は避けるが、古事記や日本神話に見られる自由な精神と、本居宣長が善悪二元論や儒教道徳が人間精神を支配することを否定し、「もののあわれ」の精神こそが日本の保守思想の原点であるはずだ。

・・・・

 旧統一教会が「極端な朝鮮民族優位の教義」を持っており、この教義(反日再臨論)によって特に日本の信者には多額の献金を強いてきたことは事実であろう。

献金問題の根本には「反日史観」「贖罪史観:蕩減復帰史観」に依拠していることを決して忘れてはなるまい。


ーーーーー


師観:


それに加えて、韓国の贖罪史観は許しのない儒教文化の産物であることに留意しなければならない。
これはキリスト教の贖罪とは全く違うものである。


師観のブログ 旧統一教会問題の本質は何か(2)


「このような歴史観を認めることができない政治家や知識人たちは、旧統一教会主催の集会などに出席したり、メッセージ・祝電を送ったりすることには慎重であるべきであろう。このような歴史観が信仰と結びついたとき「サタン」側の日本人の財産を神の側に奪還することが正当化されるのは容易に想像できることである。」


同感です。ここは着目点がとてもよく、的を得ていると感じます。




教会は全てをさらけだし、教理も刷新していかないと、単なる人事異動では何もかわりませんよ。