死の壁を砕け!

赤い侵略とグローバリズムから皇国日本と世界を守る

捏造歴史、WGIPからの解放。反キリスト軍ソロス、ディープステート、イエズス会、家庭連合(旧統一教会)、そして支那との戦い。

サタン世界に助けを求めた2世たち

教義上、これまで統一教会は自らのコミュニティーを原理、それ以外を非原理(サタン世界)と呼んで扱ってきた。そして非原理を解放する(助ける)のだと。
しかし日本信徒は、韓国への贖罪のつもりで全力投入し続けた結果、自分らの生活が立ち行かなくなり、自己破産、生活保護、失業手当。
もし信徒がこういったことに該当するなら、それはすでにサタン世界から助けられていたことになる。多大な献金要請は神の意図なのか?


弊害はお金の話に留まらない。
2世にとっては進学や就職での壁。学校や職場でも正常な人間関係が構築できず、退職に追いやられた話も聞く。教団の反社会性と誤った教育なのは、誰の目にも明らか。
こうして文氏の教えは、すべて逆に表れてしまった。
2世を追い込んだのは、実体では幹部や韓国教会だが、教理の上ではやはり教主の責任は免れられない。


その復讐に彩られた再臨論は、韓国人にとっては一種の美酒のようなものであったかもしれないが、日本人にとっては大きな枷(かせ)であり、結果は安倍元総理殺害という、文氏が最も望まない形で表れてしまった。
創立から70年近く経った現在、関係のない安倍さんを巻き込みながら、教会に特大ブーメランが襲いかかっている。
教理を修正できなかったゆえの、教団、教主の過去の亡霊とも言える。
そして教会は、山上という悪魔を育てたのは自身であることを自覚すべき。神様(教団)が助けてくれないのだから、その山上に同調した者らがサタン世界に助けを求めたのは当然の結果とも言える。


以下はとても深いですね。共感します。

一世の母親が自己破産してまでも献金してしまい、二世の教育費も十分に払えず、犠牲になって行く問題は山上容疑者だけに留まらず、至る所にあるようです。


 問題はNGOだけでなく、政府までも二世の犠牲者を救済しようと乗り出して来たことです。

これはあまりにも大きな矛盾です。教会は理想家庭実現を謳いながら現実は家庭を破壊して、二世が犠牲になっているのです。

言っていることとやっていることとが真逆になっているのです。

神の子たちが神の家庭で犠牲になり、サタン呼ばわりしていた世俗の社会から救いの手を差し出されるとは、なんという皮肉なお笑い話でしょうか。


 教会の責任者たちはこの問題に気がついていたでしょうが、ケアをせずに献金ノルマだけを追及しているからこんな結果になってしまったのです。

山上容疑者のお陰で、二世問題が日の目を見るようになったことはさらなる皮肉な問題です。

したがって、二世たちにとっては山上容疑者は結果的には一種の英雄ということになってしまうのです。

そして、サタン世界の人々の方が教会より愛があるので、二世のことを親身に受け止めてくれているということになるのです。


 そこで、どちらがサタンだったのかという問題があります。

神の子たちは天の為なら犠牲なっても良いのだという教えは本当に正しいのでしょうか? 

答えは、Yes ,...and noでしょう。

一世の信者にはYesであっても、信者でない二世にはNoなのです。


師観のブログ 二世被害者への捉えかた

韓国旧統一教会に支配された日本の信徒の生活は惨めである。元信者の土井氏は年金よりも献金の方が重要であると刷り込まれ、12年前に自己破産してしまい、気が付いたら無年金の高齢者になってしまった。

今では、脱会した息子が見るに見かねて、騙された両親の面倒を見ているという。

これが韓国教会の支配の結果であるので、国際問題である。

日本の国民は旧統一教会の信徒がいい加減に目を覚ますことを願っている。


師観のブログ 何故UCは国民からこんなにも嫌われるのか?


しかし山上徹也はヒーローではない。現実的に言えば、山上は中国人のヒーローになっていることから多くを想像してほしい。
根っこが深いのは分かるが、事情はどうあれ、こんなことで殺人を犯すような人間に、安易に同情すべきではない。
暴力団が的を間違えて一般人を殺したようなものだ。あと、メディアは論点をすり替えて問題の2次要因に向かっているだけ。