死の壁を砕け!

赤い侵略とグローバリズムから皇国日本と世界を守る

捏造歴史、WGIPからの解放。反キリスト軍ソロス、ディープステート、イエズス会、家庭連合(旧統一教会)、そして支那との戦い。

李龍道から金百文、そして・・・

神様の意図は何処に。
教会の全てを否定するつもりはありませんが、教会の神秘主義をどこまで許容していいか、計りかねる部分はあります。
かなり気になっている箇所なので、師観さんのブログより抽出しました。


これまであえて考えずにきたのですが、教会も負けが込んで、虚偽も暴露されはじめたので、いろいろ疑問が復活してきた次第です。
今のところ、何か結論づけたわけではありませんが、教会人は考えてみてください。
ざっくりですが、とりあえず原理教は神の愛より神の血統を優先させてますね。
勉強になるので、リンクさせて頂きます。



結論から言って、 統一原理は絶対ではありません。特に再臨論は反日種族主義の立場で書かれているので、これは間違いです。

日本は韓国を併合したのだから、その贖罪として、いつ果てるとも分からない献金を日本信徒に要求することは間違いなのです。

韓国本部が日本の人事権と財産管理権を持ち、統一グル-プの企業が自己責任で支払うべきものまでも献金で補填しようとすることは、職権の乱用なのです。

その結果、献金ノルマは膨張し、日本信徒の限度を超えてしまったのです。


ーーーーー


問題は一見論理的な説明に見えるのですが、誰もが疑問に思うのは、ザカリアもマリアも堕落アダム・エバの子孫である限り、有原罪の子孫になるので、どうして、そこから無原罪のイエスが生まれ出たのか?と言うのです。

それゆえ、いくら説明してもこじつけに聞こえるです。

そもそもこのこじつけの論理は金百文の「キリスト教根原理」の書き写しであり、文師が金百文から借りて来て、弟子たちが書き写し、金ウオンピル氏が返しに行ったという代物である。


さらに遡ると、血統転換の教義の始まりはイエス教会の李龍道にあるという。アダム・エバの失楽園の物語はヘブライ神話であって、客観的な史実ではない。

人類の歴史は聖書の6000年の歴ではなく、ホモサピエンスは約10万前から存在しているという。

従って、アダム・エバの失楽園の物語に起因する原罪論は信仰の論理であって、客観論理ではないのです。


ーーーー


1.「タマルがユダ族の聖別された血統を残すため・・・」解説は終わったとして、文教主の聖書解釈の最大の問題は人格完成よりも、血統を優先してしまったところにあります。
血統の為なら不倫しても構わないという倫理道徳に反する教義が出来てしまうとカルトになってしまうのです。
「実を見れば木が分かる」と言われているように、このカルトは日本国民から嫌われ、政府によって宗教法人剥奪が検討されているではないですか。


2.イエス、マリア、ザカリア、エリザベスの問題も、聖書にはイエスがザカリアの庶子だとは書かれていないので、これは文教主の独創的な解釈ということになりますが、金百文の「キリスト教根本原理」書き写しですから、オリジナルではないですね。

文教主が金百文から借りて来て、弟子たちが書き写し、金ウオンピル先生が返しに行ったのです。

キリスト教神秘主義は李龍道から始まり、金百文に受け継がれ、文教主へと流れて行ったのです。

李龍道は天使長(サタン)とエバの不倫により、サタンの血統が人類に入り込んだので、神とエバのセックスによって血統転換され原罪が贖罪されると説いたのです。

実体的には李龍道が女性信徒と性的儀式をするのです。

要するに血分の始まりです。

聖書的根拠としてイエスの庶子論という解釈を持って来るわけです。

問題は一見、論理的で人々を納得させる血統転換の教義に見えるのですが、それを実践してみると、原罪は無くならないし、人格完成はほど遠いのです。

実例は文家の子女たちの離婚、麻薬・不倫、略奪婚、駆け落ち婚、事実婚と文家の三分裂と親子での裁判闘争です。

妻の韓鶴子氏は文師が自分以外の女性たち(六マリア)をハーレムの様に侍らして、性的関係を持ち、朴サムエルのような庶子をあちらことらに持つようになると、とうとう耐え切れず、自分こそが無原罪で生まれた独生女であることを宣言し、韓鶴子教を説き、教会の名前も「天の父母様聖会」になってしまい、名実ともに原理教は変質してしまいました。

これが原理教の結末です。


師観のブログ 質問に答えて


李 龍道(イ・ヨンド、이용도, 1901年4月6日 - 1933年10月2日)は、朝鮮黄海道金川郡出身のメソジスト牧師で、著名な復興師(リバイバリスト)であった。キリスト教神秘主義者。


韓国・朝鮮の宗教を研究する渕上恭子は1993年に、1930年代のキリスト教神秘主義に始まりイエス教会の系譜に連なる聖主教や統一教(統一教会)などの教団や、黄国柱などの周辺にみられた神秘主義者を「血分け教」(混淫派)と呼び、李龍道を「血分け教の開祖」と位置付けているが、帝塚山学院大学の古田富建は、渕上の論にはその中身に関する具体的な考察がないことを指摘している。
李龍道 - Wikipedia


まるでNARUTOの六道仙人の世界。
話が神秘に包まれすぎて、どこまで信じるべきか・・・
私が現実主義になっていったのは、自身の能力の限界を知っていったからでもある。
写輪眼や輪廻眼など、特殊な能力が無い限り、答えをみつけだすのがとても困難に思える。



真実とは問いかけることにこそ、その意味もあれば価値もある。
梁山泊創師、托塔天王・晁蓋より