死の壁を砕け!

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「赦し」とは  二・二六に想う

この大きなテーマに、そう簡単に挑めるとは思ってませんが、それでも感じるところがあるので、少しだけ綴ってみたいと思います。


最近、「昭和の怪物 七つの謎」というタイトルの本が出版され、著者は、現代史研究家、ノンフィクション作家である保阪正康氏で、それをもとにしたいと思います。
その中に「渡辺和子は死ぬまで誰を赦さなかったのか」という章があり、2016年12月30日に満89歳で帰天されましたが、生前は学校法人ノートルダム清心学園理事長のポストに就いておられた、カトリックのシスターのことが書かれています。
事件から80年が過ぎ、肩書きが示す通り、聖職に就いたゆえ、文字通り「赦し」の教えと真正面から向き合い、精神的な闘いの生活をされていくのですが、そんな方の心中はどれほどのものか、凡人には計りがたいものがあります。
わずか九歳で、父が青年将校や兵士たちに機関銃で惨殺される、その場の一部始終を目撃し、信仰によって昭和のおぞましい記憶を超克しようとする生き方は、正直、私の想像の範疇を超えるし、それだけに気になったのは、そんな年月を重ねた教育者の、信仰の厚いクリスチャンの出した答えとは、いったいどんなものだったのかということでした。


いきなり結論のような格好になり申し訳ありませんが、その疑問に対する答えは、断言という形で、はっきりと書かれています。
「二・二六事件は、私にとって赦しの対象からは外れています」
インタビュアーである著者は、その瞬間、涙が出そうになったそうである。そこには、偽善も、虚飾も、そしていかなる麗句も排した、闘いの本質が込められているように想った。・・・と、あります。深い内容なので、詳細は、本を買って読んでください。


この本に対してというわけではありませんが、広い意味で一つだけ感想を述べさせていただきますと、神様は全てを赦せと言っているわけではありません。むしろ、悪に対しては「絶対に許すな」という方であることが、あらゆる知見から最近になって感じるようになってきました。「赦し」というのは「救い」という言葉にも繋がっていくと思っていますが、十羽一絡げで論じる内容でもありませんし、各々が答えを見つけてくださればと思います。そして、いつかこの言葉を消化できる日がくることを祈っています。
最後に、シスターの代表作であるエッセー集「置かれた場所で咲きなさい」の紹介を、文中の弁から、引用させていただきます。


「私が自分の本を読んでもらいたいと思ったのは、社会でうまく行かず打ちひしがれている人、誰からも大事にされていないと思っている人、会社をやめようと思っている人たちでした。私がそういう人にお伝えしたいのは、自分が変わらなければ何も変わらない、誰かに咲かせてもらえると思ったら間違いで、自分が置かれた場所で咲かなきゃいけないと気付かなければダメよということなのです。」