関東大震災の真実は、朝鮮人による日本人へのジェノサイド
関東大震災は1923年9月1日に発生。
テレビなどでも特集を組まれていますが、慰安婦や徴用工と同じく、左翼メディアなどによる捏造が横行しています。中核は例によって在日左翼で、戦術も全く同じ。加害者が被害者になる設定での拡散。
特亜は常に同じ戦略で、日本を蝕んでくる。だったらいいなのファンタジーの中に居住し、一次史料には対抗できないので、虚偽を拡散だけして、論議はいつも逃亡。
必ず慰安婦と同じ運命をたどると思う。
どうか真相に迫ってもらいたいので、資料として、こちらでも扱っておきます。
リンク集になります。
海乱鬼@nipponkairagiさんより
小坂先生が発信された内容は、私も一次資料で確認をしており、公的資料を踏まえた客観的事実に基づいたものです。皆様、ご一読をお願い申し上げます。
https://twitter.com/nipponkairagi/status/1696814383362678944
荒川区議 小坂英二@kosakaeiji
「関東大震災時に乗じて朝鮮人が井戸に毒を入れようとした」という話が流言飛語の代名詞として使われることすらありますが、「流言」ではなく「事実」であったことを日本人は知らねばなりません。
9月1日の大震災発災から数日間の間に自警団等から朝鮮人が殺傷された事案が有りました。二百数十件が起訴されています。
朝鮮人を巡る「事実でない情報」が広がったのが大きな原因とされています。
当時流された朝鮮人の震災下での凶悪犯罪やテロ活動の話。それは嘘や伝聞での拡張も含まれていましたが、実は真実が多数有りました。
朝鮮人を殺傷する事案が相次いでいたため、政府は9月5日、そうした対応を強く批判し、止めるように国民に呼びかけています。そして朝鮮人の犯罪やテロ活動の話についても、混乱を加速させないようにとのことで報道も禁止し、収束を図ろうとしました。
震災から1週間程度で殺傷事件は収まりました。
そしてその後に殺傷事件について二百数十件が起訴されています。
そうした経緯が有りながらも、いつまでも朝鮮人の犯罪についての報道を禁止するわけにもいかず、震災から50日が経過した10月21日に司法省が事実を整理した上で朝鮮人の犯罪について精査された情報を公開し、翌日、各新聞社が報道をしています。
その報道の一端がリンク先になります。神戸大学附属図書館の新聞記事デジタルアーカイブです。
大震災発災直後の9月初旬の新聞記事には真偽両方が含まれた朝鮮人の犯罪について書かれたものが有りましたが、この10月20日の発表を受けた新聞記事は政府が報道禁止などの冷却や調査の時間を確保した上で出されたもので精度が違います。
その10月20日発表の記事中に以下、有ります。
「飲料水へ毒 あべこべに飲まされて悶死
九月三日午前九時頃本所菊川町十字路附近自称李王源
毒薬亜秕酸七八匁を懐中し本所区徳右衛門町菊川町方面焼跡残存者が唯一の飲料水供給所たる菊川町の水道消防栓附近を徘徊中群衆に捕われたが、亜秕酸を食塩と強弁し強いて嚥下せしめられて忽ち悶死した」
つまり水源近くで毒を持っていた不審者が、問い詰められて「これは塩だ」と強弁したので、本人に飲ませると毒物であり死亡したとのことです。
繰り返し書きますが、朝鮮人犯罪の真偽織り交ぜた伝聞の記事等を全て禁止してから45日程度経過して、調査や精査をした上で司法省が発表した内容です。
当然、その現場近くにいた人々が口伝えで「朝鮮人が水源近くで毒物を入れようとしていた」ことは広まり、そうした攻撃から地域を守ろうと自警団が目を光らせることになるのは当然の自衛だと思います。
リンク先の記事を見ていただいてわかる通り、他にも強姦、略奪、殺人等が精査された上で発表された内容が多数明記されています。
この事実は踏まえておかねばなりません。
震災の数日前に朝鮮人が爆発物を多量に集め、テロを画策していた件で確保された事案も有ります。
震災直後の9月3日に逮捕された朝鮮人の朴烈は天皇暗殺を企てていました。
また、震災から4か月程度経過した12月27日には共産主義者による摂政東宮殿下(後の昭和天皇)を銃撃する事件も発生しています。
当時の社会状況は共産主義という国体をテロで破壊しようとする勢力の跳梁跋扈、朝鮮人テロリストがそれに連帯して様々な破壊工作や犯罪を震災の有無に関わらず行っていたという状況でした。
国民が強い危機感を持つ状況です。
震災直後、警察や軍も被災し、国民は自らの身を自らで守らねばならない事態が発生していました。
それを踏まえた上で、有ってはならない「真に無実で朝鮮人が殺傷された事件」が発生したという歴史的事実を踏まえねば、先人をいたずらに貶め、朝鮮や中国といった歴史戦での利得を求める勢力の思うつぼになってしまいます。
明後日の9月1日で関東大震災から100年。無念にも命を落とされた全ての方々のご冥福を心からお祈りし、当時の教訓を今に引き継いでいかねばと思います。
https://twitter.com/kosakaeiji/status/1696679724075118605
荒川区議 小坂英二@kosakaeiji
関東大震災時の朝鮮人犯罪の報道禁止(事態の鎮静化の為)から45日後に精査検証を経て発表された、朝鮮人の多数の凶悪犯罪とテロ活動について、今朝の小坂の書き込みの資料(その2)です。
記事の一部になりますが、是非、じっくりとお読み下さい。
下記、引用の通り、陸軍中尉を30人の朝鮮人が取り囲み暴行しようとしたという事件は、集団での騒乱そのものです。
こうした事実が現場に有ったことを我々は忘れてはなりません。
(以下、画像とテキストは先ほどと同じく神戸大学新聞記事文庫から引用です。東京時事新報大正12年10月22日の記事です)
榎本豊吉に棍棒を以て負傷せしめ逃走した
拳銃
九月二日午後九時頃、吾嬬町請地京成電車踏切、崔先卜、金実経
警戒中の在郷軍人団に対し拳銃を発射して逃走した
狙撃
九月二日午後十一時頃吾嬬町伊藤染工場林松致
震災後白磨六連発の短銃及び実弾数十発を携帯して徘徊し群衆中に数発を発射逃走した
中尉を包囲した三十人の不逞団
九月二日午後十一時頃、南葛飾郡小松川橋第一、第二橋中間堤上氏名不詳鮮人三十名位
軍務をおび通行中の陸軍野戦重砲兵第七連隊第一中隊長代理砲兵中尉高橋克巳のオートバイを包囲し、棍棒を以て危害を加えんとしたが中尉はすきを見て脱出した
抜刀
九月二日午後十一時頃小松川町荒川放水路堤上氏名不詳鮮人一名
抜刀を携え自警団員を装い罹災民の隙を窺う中、取押えられ後逃走す
流言
九月二日午後十一時頃吾嬬町大字木下一八一道路氏名不詳鮮人一名
海嘯来るを連呼して疾走し、民心を攪乱し取押えられたが逃走したす
暴行
九月二日夜吾嬬町氏名不詳鮮人一名
氏名不詳の内地婦人に暴行を加えた
橋梁破壊
九月二日午後十一時頃南葛飾郡瑞江村下江戸川橋氏名不詳鮮人
下江戸川橋を破壊せんとして鉄棒を持って同橋橋柱を破壊中、警備中の騎兵に発見されて射殺された
飲料水へ毒 あべこべに飲まされて悶死
九月三日午前九時頃本所菊川町十字路附近自称李王源
毒薬亜秕酸七八匁を懐中し本所区徳右衛門町菊川町方面焼跡残存者が唯一の飲料水供給所たる菊川町の水道消防栓附近を徘徊中群衆に捕われたが、亜秕酸を食塩と強弁し強いて嚥下せしめられて忽ち悶死した
爆弾
九月二日午後八時頃荒川放水路本田橋際堤上呉河模
ダイナマイト十一箇雷管十五個導火線五本を所持し本田橋際堤上取押えられた
殺人
九月三日早朝南葛飾郡砂町小学校脇蓮田附近氏名不詳鮮人
以下、優秀な在日3世の方が居ますね。こういう方の帰化を歓迎します。