死の壁を砕け!

赤い侵略とグローバリズムから皇国日本と世界を守る

捏造歴史、WGIPからの解放。反キリスト軍ソロス、ディープステート、イエズス会、家庭連合(旧統一教会)、そして支那との戦い。

銃と刀と私 必殺編

地球規模で、視野を広げて見てみると、グローバリストによる、国家が個人を管理する体制は整いつつあり、教育から何もかも、根幹に係わるものまで全て、管理下に治めようとする、悪魔の思想家たちの存在は無視できなくなっています。
そして最後の砦、銃器さえ取り上げてしまえば、ある意味、完結。
決して体制には、逆らうことができなくなってしまうという顛末を迎えるのです。


人間を育てるのは、決して国家などというものではなく、家庭であったり、友であったり、そういう繋がりであり、そこには、まぎれも無く、神様が臨在されていることを確信する方も、多いのではないでしょうか。
こういう、当たり前のことが、お花畑の平和論者には分かっておらず、まず銃器の所持を無くせば、とりあえず平和に一歩近づけたみたいな勘違いをしてしまう。
こうなると、もう敵の思う壺で、その精神域から抜け出せなくなってしまう。


これは、敵がどんな相手か分かっていない、無知から来るものですが、さらに言うと、核兵器の所持、不所持も、これと似た側面を持っています。
世界一斉、せーので放棄した瞬間、速攻で侵略完了。
共産主義が、約束を守る国でしょうか?
気づいたら自由の戦士の武具だけ取り上げられていた・・・という顛末。
武力を背景にした外交で国家は蹂躙され、敵国のいいなり、子々孫々、奴隷のごとき屈辱の生活を約束します。
だから、平和論者の掲げる理想など、なんの興味も無いし、意味も無い。
この世には、クソみたいな現実が横たわっていることを知るしかないのです。


昔、「必殺仕置屋家業」というTV番組があり、ある評論家が書いた記事が記憶に残っています。
仕置人、市松(沖雅也)の武具は、竹串。
扱う人間によって、竹串でさえ、殺しの道具になってしまう。
本当に恐ろしいのは、武器がどうのこうのの問題じゃない、それを扱う人間の殺意。
べつに市松を非難した記事ではなく、人間の内面を突いた論評です。



グローバリストの言う論理など、竹串を規制しようとしているようなもので、本質は、竹串が恐ろしいのではなく、恐ろしいのは、それを扱う人間の心であり、思想性。
自分には、何か大切なものを奪われようとしていた気がしたので、この悪魔人たちの「銃器丸腰大作戦」に反旗を翻します。