死の壁を砕け!

赤い侵略とグローバリズムから皇国日本と世界を守る

捏造歴史、WGIPからの解放。反キリスト軍ソロス、ディープステート、イエズス会、家庭連合(旧統一教会)、そして支那との戦い。

目糞は鼻糞を笑ってはいけない

ルカによる福音書6章41~42節
なぜ、兄弟の目にある塵を見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
自分の目にある梁は見ないでいて、どうして兄弟に向かって、兄弟よ、あなたの目にある塵を取らせてください、と言えようか。偽善者よ、先ず自分の目から梁を取り除けるるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にある塵を取り除ける事ができるだろう。


岬キリスト教会さんより引用します。
平行記事のマタイによる福音書では、イエス様の「人を裁くな」という御言が、もう少し詳しく記されています…「あなたが人を裁く秤で、あなたも裁かれます」です。人は、生まれながら裁きの秤を持っているのです…しかし、その秤は公平さを欠いている物です…そこでイエス様は、「人を裁くな。何故、兄弟の目にある塵を見ながら、自分の目にある梁を認めないのか?」と言われたのでした。


塵が目に入ったら、痛いし気になるので、何をさておいても取ろうとします。人を裁くのも、これに似ていて、人の罪や欠点、弱点が、一旦、気になると気になってしょうがなくなってしまいます。そして盆栽の剪定のように切ろうとするのです。時に枯らして(心を殺して)しまいます…持ち主が、盆栽全体の枝の成長を考えて枝を残しているのに、他人が切って枯らしてしまっては大変です。
~引用おわり~


ファンからの苦言のような形で捉えてもらえれば幸いです。
人間、年を取ると思考が固まってしまって、柔らかく考えられないことが多い。ここサンクチュアリでも、組織愛というか、王様への愛情が強すぎて、教理論争を飛び越えて、同じカテゴリ内で取るに足らないことで兄弟を裁きにかかっている人もいる。その点イエスの教えが根付いている既成教会では、妙な雰囲気はあまり感じられず、穏やかさと落ち着きを感じるのですが、もう少しだけ引用します。
聖書は、ここで「罪を犯した人」を「兄弟」と言っています。兄弟ですから、その人と自分の親は同じです。ここで親というのは「神さま」です。イエス様は「神は、公平な秤、人を生かす愛の秤を持っている、だから神に先走って裁いてはならない」と言われたのでした。


今、教会では、大きな動きがありますが、どんな人がおられようが、来ようが、広い心で受け止めて行くことが、キリスト者の道だと思っています。結局、私も立ち位置を確保しただけの人間で、先人の苦難のことを思えば、何の条件もなくただ突っ立っているだけ。それでも人としての道だけは踏み外せまいと、それだけは心がけていきたいと思います。