死の壁を砕け!

赤い侵略とグローバリズムから皇国日本と世界を守る

捏造歴史、WGIPからの解放。反キリスト軍ソロス、ディープステート、イエズス会、家庭連合(旧統一教会)、そして支那との戦い。

怪盗ルパン VS 秘密結社フリーメイソン

タイトルどうり直接戦うという意味ではありませんが、こういう構図が浮かび上がってくるという、お話です。
怪盗戦隊ルパンレンジャーvs警察戦隊パトレンジャーではありません、念のため。
もうかなり前なので、手元にあるメモ書きを頼りに書きたいと思いますが、偕成社で、竹西英夫氏 訳の本であることは分かっており、そのあとがきを参照したいと思います。


幼少時は、児童向けではありますが、シャーロックホームズは夢中になって読んでいましたが、ルパンまでは手が届かなかったので、あまり思い入れはありません。ただ、あの名作アニメのおかげで、気になって仕方ないのは確かです。
たしか「カリオストロ伯爵夫人」のあとがきだったと思います。
ルパンが20歳の頃の冒険で、ここでは青年ルパンが可憐なクラリスを助けて謎の女賊カリオストロ伯爵夫人(ジョセフィーヌ・バルサモ)と戦う姿が描かれていますが、当然、2人とも架空の人物。
ですが、ジョセフ・バルサモ・カリオストロ伯爵は、実在の人物。
イタリアの山師で、1743年 パレルモに生まれ、1795年 ウルビノのサン・レオに死す・・・と、人名事典にあります。
フリーメイソンとの接触をもち、ヨーロッパ各地を遍歴。ローアン枢機卿と組み、「女王の首飾り事件」に連座し、1786年に国外追放されることになります。


カリオストロの生きた時代は、自由平等などを旗印にした啓蒙思想が澎湃として起こり、まもなくフランス革命が起こらんとし、実際起こった頃でした。
革命に結社がどの程度関係したのかは、よく分かりませんが、革命が自国に波及することを恐れたヨーロッパ各地の支配層は、国境を越えて結び合うこの結社の存在を苦々しく思い、かつ敵視しました。
もちろんカリオストロは、フリーメイソンであるという理由だけで、刑を言い渡された訳ではなく、数々の悪行がありました。


イタリア半島沖のシチリア島の港町パレルモに生まれ、父のピエトロは、リボンを販売する中程度の商人で、伯爵の称号とは何の関係もなし。
しかし、母フェリチアの遠縁に、ビチュンテ・カリオストロ伯爵夫人と名乗る女性がおり、ジュゼッペは勝手にこの女性の称号を拝借したと思われます。
変名、偽名は数限りなしで、むしろ彼の方がルパンに近いかも。中でもとりわけ彼が好んだのが、この「カリオストロ伯爵」という称号と名前でした。
だから彼は今でも「ジュゼッペ・バルサーモ」とは呼ばれず「カリオストロ」と呼ばれている。


マリー・アントワネットの「女王の首飾り事件 」に関係したことが祟り、1785年8月、遂に逮捕、バスティーユ監獄に入れられることになります。
翌年、国外に追放されて、イギリスに渡り、ここでも捕らえられ、フリード監獄に繋がれます。
1789年、フランス革命が起こる年の5月、ジュゼッペはローマに帰りますが、異端審問という宗教裁判にかけられ、翌年、死刑を宣告されたのでした。
刑は結局、終身刑に減じられますが、1795年8月26日、サン・レオの監獄に永眠。


気になる「女王の首飾り事件 」ですが、簡単に触れておきます。
首飾り事件は、1785年、革命前夜のフランスで起きた詐欺事件。ヴァロワ家の血を引くと称するジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人が、王室御用達の宝石商ベーマーから160万リーブル(金塊1t程度に相当する)の首飾りをロアン枢機卿に買わせ、それを王妃マリー・アントワネットに渡すと偽って騙し取った。典型的なかたり詐欺。
~ ウィキペディア(Wikipedia)より~


グローバリズムの魔の手は昔から続いているんですよ・・・という、お話でした。
もしかしてこの闘い、ルパン三世が引き継いでいるのでは・・・などと想像すると、妙に奥深く感じる。最後に、第十三代石川五右衛門ふうでひとこと
「また、つまらんものを斬ってしまったか・・・」


ことわざコーナー