死の壁を砕け!

赤い侵略とグローバリズムから皇国日本と世界を守る

捏造歴史、WGIPからの解放。反キリスト軍ソロス、ディープステート、イエズス会、家庭連合(旧統一教会)、そして支那との戦い。

言葉とは

教会向けです。家庭連合に言っておきたいことが。


互いの教会内では、特に教理や語る内容が対決事案の場合は、とても重要な要素があり、論争するに値しますが、私はこのブログ、一般向けに提供してまして、そんな目からすると、金栄輝先生の上疏文、あるいはその反論とか言われても、たぶん読者の半分は何の興味も無かろうし、「だっじゃ、それは~~」となること受け合いです。
それで、そんな人たちからすると、なにが肝かと言うと、この国に、あるいは世界にとって、どの団体が必要かという視点が、とても大きな判断基準になってくる。


小さい次元ですが、身近な私の例でいきますと、昔、警備のアルバイトをしていた時期がありまして、電柱工事の作業員に付き添って、その安全を確保するのが仕事でした。いろんなタイプの方がいまして、日々違う人と接するのですが、暑い、喉がカラカラになる時期で、いろいろ気を使ってくださる方もいれば、そうでない人も。
ある人は「ありがとう・・・」と、いつも声をかけて気を配ってくださり、一方、まるで無頓着の方も。
ところが後者の方、無愛想で何の気の利いた言葉さえない、その方は、休憩ごとに缶ジュースを下さるのです。この時期、この行為が、どんなに身に沁みるか・・・
日本人って、こういうところがあるんですよね、職人気質というか。これ以降というわけではありませんが、大人の経験を積むに従って、少なくとも私には、言葉が何の意味も持たなくなっていきます。


金に困っている人に対し「本当に気の毒な・・・」と、慰めや同情を示してくれる善意の人と、「てめえアホか、ばかやろー」と言いながら金を貸してくれる人と、その困っている人は、どちらに感謝するだろうか。要はどちらが正しいか、というより、どちらが人の世から必要とされているか、ということの方が、これからの基準であり、とても大きな要素となってくると感じます。周りにも、言葉にこだわり過ぎて、重箱の底をつつき合ってる人は、ゴロゴロいますが、聖書の聖句にしたところで、悪魔のほうが詳しく知っているし、太刀打ちできないくらい研究しつくしているというもの。
話を戻しますと、家庭連合の方々、特に幹部に言いたいのは、日本のため、あるいは世界に対し、なにかやってるの?
特に紛争の問題に対し、戦わないという行為は、戦線離脱ですよね?
サンクは本拠アメリカを中心に、かなり本格的に行動を起こしています。近年の奇跡は、対悪魔(グローバル)戦において、ほぼ共闘といっていいレベルで、プロテスタントとは歩調を合わせているし、あの大統領、背後で男塾も合流した模様。どちらの行動が真か、判断するのは、すでに教会員では無い時代に突入している気がします。どんな理路整然とした知識や、あるいは美辞麗句で着飾ってみても、その言葉に愛や行動が伴わなければ、何の意味があるのか・・・という、お話でした。


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