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捏造歴史、WGIPからの解放。反キリスト軍ソロス、ディープステート、イエズス会、家庭連合(旧統一教会)、そして支那との戦い。

帝国主義的宗教「統一教」 ~原罪について~

原罪について個人的にいろいろ引っ掛かっている箇所を師観さんよりピックアップします。
今回は資料的扱い。
なにかを結論づけたわけではありませんが、信徒の間でも近年、再臨論を含め、原理教そのものの信憑性が問われています。少なくとも史実無視の反日史観で書かれた再臨論に至っては、はっきり虚偽だと断言できますし、この統一原理自体、大幅な改編をしていかなければ永遠のカルトとして名を刻むでしょう(すでにそういう扱い)。そういったところからくる信仰2世への社会的バッシングなどを考慮すれば、早急な改革が必要なのですが、鶴の何某の登場で、さらに時代が逆行しはじめてしまった。
社会での存在位置を失った2世らが不憫でなりません。


個人的には文教主の歴史観があまりにお粗末で、虚偽に彩られていると感じたことから出発していますが、そうなると教理の他の部分は大丈夫かと考えるのが常識。正直、総体的にあまり信じていません。
ただし、統一教の成り立ちと実像をわりと知っている者からすると、愛国の日本信徒に対しては同情的であり、できれば左翼らの不当な迫害からは守っていきたい。そのためには外国人参政権を叫び始めた信徒や、tomyら朝鮮組を排除していかなければ本然には戻らないと思っています。
結果だけ見れば、原理教は韓国主体の帝国宗教で、信徒を天国へ誘うことはできません。今のままなら、むしろ信徒のみならず、多くの国民を混乱に陥れ、おそらく文教主の思いとも相反することになるのです。


講論によれば、原罪とは「人間始祖が犯した霊的堕落と肉的堕落による血統的な罪をいい、この原罪は全ての罪の根となるのである。p121」だという。

この説の第一の難点は人間始祖は科学的根拠を無視して人類がヘブライ神話のアダム・エバだとしてしまったことです。

第二の難点は聖書的に見てもアダム・エバは人間始祖ではありません。その理由は、アダムとエバが生まれる以前にも、神は人間を創造していて、その人達は罪を犯したとは記述されてはいないのです。

師観のブログ 原罪につて

1.アボジが条件を立てたから「これからは原罪は全く無い状態」になったというものではないでしょうね。

初めからなかったと論じる方が

「人間は、あくまでも論理的であると同時に、実証的なもの、すなわち科学的なものでなければ、真に認識することは出来ないので、結局、宗教も科学的でない限り、よく知ってそれから信じるということが不可能になり、宗教の目的を達成することは出来ないという結論に到達する」

という講論の論述に合致することでしょう。 なぜなら、堕落論はアダム・エバの史実性を証明せずに、いきなり人間の始祖がヘブライ神話のアダム・エバだったというところから始まっているので、これでは原罪の科学的、客観的根拠に成り得ないのです。


2.統一教の原罪論の恐ろしいところは、全人類はすべて原罪を持っているので文教主の逆不倫の性の儀式を通さないと誰も救われないと説いているところです。

血統転換論は血代交換、すなわち血分のカルトの系譜に位置づけられる教義なのです。

さらに、神は創造はしますが、繁殖はしませんので、神には血統と言う概念は生まれて来ません。神々を繁殖したら、神はもはや唯一絶対の神ではなくなるのです。

「自分を通さないと誰も救われない」と説く宗教は、宗教学では帝国主義的宗教に位置づけられるのです。


3.もし原罪があるとすれば、アダム・エバ・天使長の堕落に由来するのではなく、神に由来することになります。

文師によれば、創造以前の神はどんなに逆立ちしても、神しか存在していませんので自己中心の神だったというのです。興味深い説明です。

堕落は天使長が神と同じ立場に立てなかったところから出発したと言うのですから、自己中心の思いと行動が原罪だということになります。


ところで、自己中心とは創造前の神と同じだったということです。なぜなら、自己中心の由来は神から来ているからです。

したがって、神が神以外のものを創造したということは神の自己否定だというのです。

西田幾多郎も神の自己否定を説いていますが、ヘーゲルはもっと先にそれを説いています。

文師も神が被造物を創造した時に完全自己投入したので、神の自己否定という言葉を使っています。

だから、人間も自己否定しない限り、神に出会うことが出来ないというのです。

それゆえ、神と人間の真の出会いは相互自己否定なのです。天使であろうと人間であろうと、創造以前の神の状態にいる限り、原罪のままの状態にいるということになります。

それゆえ、創造本然的に愛すべき対象を見つけて、その対象の為に完全投入しない限り原罪から脱していないことになります。

さらに、神が自分の意思で自己否定したのですから、人間も自分の意思で自己否定しない限り、原罪から脱しないことになります。

史実的根拠のないヘブライ神話のアダム・エバの血統の堕落論より、こちらの説明の方が説得力があることでしょう。


師観のブログ ずっと気になっていたので質問です。(原罪についてのアボジの発言)

さて堕落論の問題は性行為によって堕落したのであるから性行為によって復帰するのだと考える所に間違いがあると思われる。性行為ではなく愛の問題です。本能を愛によって主管するという事です。性=愛ではありません。性は動物本能、愛は超自我です。

性を愛と読み替えたり、愛を性に読み替えたりするのは間違いです。このすり替えがUCの中で頻繁に行われている。愛のない性行為など野獣(動物)と同じです。

師観のブログ 堕落論の問題点:愛VS性

しかし、再臨論が果たして史実と一致しているかを調べてみると、捏造の反日・亡命政府史観から成り立っていることが分かっては来ましたが、同時性もアシジのフランシスやトマス・アクィナスが内的に刷新しようとしたが、当時の教権側が耳をかさなかったから十字軍戦争が起きたのではなく、彼らが生まれる前に十字軍戦争は勃発していたのです。

さらに、旧約時代の預言者マラキと新約時代の宗教改革者のルタ-が同時性として匹敵する人物に挙げていますが、マラキは宗教改革以前の人物で、ルタ-やカルビンの宗教改革者に匹敵する人物はエズラとネヘミヤなのです。

史実に合わないというのなら、再臨論や同時性だけではなく、アダムやエバ、カインやアベルも検討せざるを得なくなるのです。

そもそも縄文人でさえ、3万年前に日本に出現しているというのに、人類始祖の始まりがの6000年前というのが史実からかけ離れた神話なのです。それゆえ、アダム・エバの物語は科学としては使えません。


1.アダムとエバからまず生まれたのはカインとアベルでしたがカインがアベルを殺したので、カイン一人になりました。

しかし、神はカイン以外の人々に向かってカインを殺さないように、カインの額に印を付けました。さらに、カインは妻をめとり、エノクを産んだというのです。

これはアダム家庭以外に人々が結構いたことになり、したがって、原罪はアダム家庭の問題であり、他の人たちには関係のない事になります。すると原罪を清算するメシアの必要性はアダムの子孫だけに限定されます。


2.原理教の中心教義は祝福によるサタンの血統から神の血統への血統転換論です。神は唯一絶対永遠で繁殖しませんので、神には血統という概念は当てはまりません。

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血統と言う限り人間は「神の血統」には入りません。神には血統がないからです。聖書に「神の子たる身分が与えられた」(エペ1/5)とあるのは「神の霊を注がれた」「アダムの堕罪によって失った神の霊が再び注がれ、神の子としての身分を回復した」と言う意味です。


3.血統転換の方法にも難点があります。天使長とエバが不倫をすることで、ルシファ-(サタン)の血統がエバに受け継がれ、そのエバとアダムが交わることによって、サタンの血統がアダムにも受け継がれてしまったので、復帰は逆の経路をたどって血統を転換するというのですから、これは逆不倫によって血統を転換するということです。

この教義の難点はサタンが殴ったから、殴られたように殴り返す、不倫でやられたら逆不倫でお返しをする、殺されたら殺し返す、盗まれたら盗み返すということになってしまうのです。

サタンがやったから神も同じようにやり返したら、神もサタンも変わらなくなってしまうのです。


師観のブログ 原理教の問題点と今後の展望


堕落論が心もとないと、はたして復帰原理も意味を成さなくなってしまいます。こうして統一教会はあまりに欠陥が多すぎる。実体での検証を疎かにするなら、ファンタジーをベースに書かれた韓国ドラマと変わりありません。



そういえば慰安婦謝罪の撤回と反省はまだですね。教会はこんな売春婦らに掻きまわされ、頭まで下げさせられ、いったいどうなってるんでしょうかね。歴史観がおぼつかないと、こういったところから化けの皮が剥がされていくんですよ。