死の壁を砕け!

赤い侵略とグローバリズムから皇国日本と世界を守る

捏造歴史、WGIPからの解放。反キリスト軍ソロス、ディープステート、イエズス会、家庭連合(旧統一教会)、そして支那との戦い。

朝鮮人は侵略者です ~統一教会、朝鮮学校(総連)、民団、corabo、みんな仲間~

統一教会は、根っこは韓国(侵略者)の価値観そのまま。出発当初、日本では愛国に共感していた信徒も、いずれ知識を得れば、その虚偽性に気付いていくことになる。
※なぜ侵略者かは、以下で取り上げます。


現状、日韓の教会で見事な逆転現象が起きており、日本ではtomyなどの在日朝鮮人の台頭が虚偽性を象徴している。理解不能の価値観で、全く辻褄が合わない。
こうして信徒に於いては、自ら情報更新できなければ、いつまでも昔のまま。古き良き時代のファンタジーに浸りながら、奈落へと突き進むしかありません。


保守っぽいところがあっても反日というのは、どういうことかというと、天皇は朝鮮系、日本に文化をもたらしたのは朝鮮人、日本人は悪いことばかりやってきたので朝鮮人の奴隷として永遠に尽くすべき、といった反日思想は韓国・朝鮮人の思想そのまま。

よって、韓国では右翼・保守でも、日本では反日であり、家族制度とかに関してだけが保守なのだということ。



もし教会が真理に根差しているというのであれば、教会は自ら率先して、教理や歴史観全てを見直し、情報更新していくべきでしたが、結果、自浄能力は無く、真理性も危ぶまれています。時代に置き去りにされていったのが現在です。


そして統一教会、朝鮮学校(総連)、民団、corabo、みんな同じ側に立っています。一見、対立しているように見えますが、歴史観を見れば全く同じです。同じ穴の狢(ムジナ)であり、もし他者を反社扱いするなら、自らも同じだということくらい自覚したほうがいい。
統一教会の問題以前に、あるいはそれを解決するために、我々は歴史を遡ったほうがいいかもしれません。


引用させて頂きます。

古代において、日本は朝鮮半島の一部を領有し、当時の半島にはたくさんの日本人が住んでいました。

古代 日本人が住んでいた日本文化圏といえた地域は日本本土のみならず、朝鮮半島でも日本府 任那(みまな)を中心に、当時の親日国 倭人の支配していた百済にまで及びます。

そして、任那と百済は、当時の大国 唐と朝鮮人の国 新羅の連合軍によって滅ばされ、その後、朝鮮半島は新羅に占領されることとなります。


そして更には、唐・新羅の連合軍が日本本土にまで侵攻してくる恐れがあったため、日本(倭国)を守ろうとした当時の古代日本人の遺跡が九州にはたくさん残っています。

私は九州生まれで、実家の近くには古代日本の外交舞台となっていた広大な大宰府政庁跡はじめ、当時の日本を取り巻く状況を生々しく語る史跡がたくさんあります。もっと古い吉野ヶ里遺跡など、数多くの遺跡も残されてます。


九州に大宰府政庁が置かれたのは7世紀初め(日本書紀)。当時、朝鮮半島内にいた日本人は、唐と手を結んだ新羅の侵略に追い詰められます。

白村江の戦い(663年)において、百済・倭国連合軍と唐・新羅連合軍は陸・海に亘って激しい会戦を繰り広げますが、倭国(日本)は敗れ、百済も滅びます。日本は翌664年(天智4年)、筑紫・壱岐・対馬に防人を置き、大宰府から約1.5kmの場所に防衛戦としての土塁、長大な「水城(みずき)」も築きました。


朝鮮半島から命からがら日本本土に逃げ延びた古代日本人は、その後も残忍な唐・新羅連合軍の脅威に怯え、防波堤となる九州にたくさんの防衛線を張ったのです。

古代日本人がシナ・朝鮮人に抱いていた感情、日本人は決して忘れてはなりません。先人の築いた防衛拠点は、後の元寇ではもちろん、そのまま現代日本の国防にも通じているように思えます。


海を渡ってきた日本人を今では渡来人(帰化人)などと呼んで、奴らはすべての文化が朝鮮から渡ってきたような主張をしてますが、もともと渡って来た彼らは朝鮮半島に住んでいた当時の日本人。

奴らは日本のルーツを根こそぎ奪おうとしています。われわれ日本人はそれに対抗するため、日本本土のみならず朝鮮半島内にいた先人たちの残した日本のルーツを守らなければなりません。


朝鮮人を身近に感じる必要はないでしょうが、日本が領有し、多くの古代日本人が住んでいた朝鮮半島を、日本人はもっと身近に感じなければなりません。日本府 任那を歴史教育に復活させましょう。

日本が領有していた朝鮮半島を侵略し、歴史の歪曲・捏造まで図る奴らへ、徹底した対抗意識を持ってください。


古代日本帝国は一大転換期を迎え、いよいよクライマックス、任那滅亡から朝鮮半島における覇権喪失への流れに入っていきます。韓土の日本領 任那の攻防が生々しく描かれ、倭国(古代日本)に対する新羅の不逞により、何度も決行された新羅征伐。韓土をめぐってのめまぐるしい攻防、その失政や日本軍におけるいざこざ、そして任那を失ってしまっていった詳細な経緯が記録されてます。


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任那、そして百済まで滅ぼした憎っくき新羅こそ、今の朝鮮人の国。韓国では高給ホテルの代名詞でもある新羅ホテルのように、韓民族を象徴する国家として新羅は冠されてます。



新羅と戦った古代日本軍の将 【伊企難(いきな)】  (『日本書紀』より)


欽明天皇の二十三年、日本が新羅を攻めた時のことです。

伊企難は大へん勇敢な武士でしたが、不幸にも捕虜となり、新羅の大将の面前に引き立てられました。

「その方、もし褌(ふんどし)をはずし、尻を日本に向けて、日本の大将! わが尻を食らえ! と叫んだら許してつかわそう」と言われました。


伊企難は、「よろしい! 申しましょう!」と、早速尻をまくって、新羅の大将の方に尻を向けて、「新羅の大将! わが尻を食らえ!」

と二度も三度も大声で叫びましたから、伊企難はとうとう殺されてしまいました。



私の学生時代は、学校で、まだ任那が教育されていました。なんで半島はこんなグチャグチャなのか、いちいち覚えてられるかと思ったものです。振り返って思ったのは、それが一番大事だったということ。そして今の韓国政府は、半島に任那があったこと自体、徹底的に隠します。それが世界で行われてきた侵略者の常道でもあるからです。


在日朝鮮人も、歴史への探求は、全く自分らの益にならないし、あるいは本当に何も知りません。日本は侵略したのだと思えば都合もいいし、偽歴史を掴まされて踊っているだけです。原因は朝日新聞、日教組、在日関連のほとんどの組織、これらの歴史改編であり、侵略は続いています。




※イメージ

メフィラス ~「シン・ウルトラマン」より~