死の壁を砕け!

赤い侵略とグローバリズムから皇国日本と世界を守る

捏造歴史、WGIPからの解放。反キリスト軍ソロス、ディープステート、イエズス会、家庭連合(旧統一教会)、そして支那との戦い。

メシヤの時代 ~原理教と対立する文教主~

「良心は両親に勝り、良心は師に勝り、良心は神に勝る」


文師が語る中で、私が一番好きな言葉です。おそらく最高峰。
もし良心を信じるなら、教団も、あるいはメシヤも文氏も、そして神をも相手に戦わなくてはならない。言っとくが、こっちは悪魔で手一杯だぜよ。


ところで、教えというのは本人をも縛るもの。
本来、教理の中では文氏は日本人として扱うべきだったと思う。そもそも韓国が国家として成立する以前は日本だったわけだし、半島人は皆こぞって近代文明を宿した日本人になりたがっていた。ところが、その文氏は民族主義丸出しで、やっていることは安重根や柳寛順を支持したり、君主制を敷こうしたり、教義内容も日韓で真逆だったり、反日史観で行動してきている。これでは原理教VS教主ととれなくもない。あるいは自身の中のメシヤ(国主)対メシヤ(救世主)の戦いの反映。今では女メシヤまで参戦し、まるでバトルロイヤルになってきている。


原理本体論より


やはり教主の観点では日本は侵略国家らしい。メシアについても書かれているが、実体では何も清算はされていない。今の混乱は、やはりこの辺りだと思う。それでも前半はまだ反日らしからぬ教会だったし、久保木氏のおかげもあって、かろうじてコントロールされていた。
安倍さんの件があって、今ではあまり良心的に解釈できなくなってしまったが、それでも完全に否定しないのは、ショーンの存在と、反統一教会のデタラメぶりを知っているから。
このように自分は文氏の過去の亡霊と戦っていると思う。清算されているのなら戦う必要などないが、そうではない。
やはり容認はできない。
文氏が平和を目指していたのは確かだし、おそらく大東亜共栄圏を韓国主導でやりたかったのかもしれないが、これには無理がある。決定的なのは韓国人の民度の低さと、何より国民が史実を知らない。
今、韓国で行われている教育は酷いもので、幼少からの反日教育が延々と続いている。


「原理講論・問題点」の核心は!?


「東方の陽が昇る国」を無理筋の理由付けで、①共産主義の中国ではない、②日本はキリスト教を迫害した国、邪教の神道の国であり日本ではない、③だから「準備された国は東方の陽が昇る国とは韓国である」という論理飛躍、間違った消去法で韓国が選民であり、準備された民族であと述べて、日本はサタン側の「蕩減国家」悪しき国であるから、蕩減献金国家であるとの解釈を生み出してしまったことにあるように思います。


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※原理講論は日本はキリスト教を迫害してきたサタン国家であると書かれています。摩訶不思議なことであります。


※平城が東洋のエルサレムとまで言われたのに矛盾が多いのです。なぜキリスト教を迫害し、禁じたというのでしょうか。


※原理講論再臨論は、神様が日本を用いて、李氏朝鮮の韓国を蕩減分別し、メシアを迎える基台をつくり、韓国の近代化に最大貢献し、メシアの公生涯に備えたことに触れていません。


日本の多大な貢献を列挙して日本感謝!神様感謝!日本ありがとう!神様ありがとうを教えて「恩讐を愛する」民族に転換・新生するのが再臨主のミッションでした。


講論再臨論では韓国人の反日を克服できなかったのでした。講論再臨論は日本の左翼自虐史観に輪をかけたような誤りの姿勢であります。再臨論の誤りが、いまだに再臨摂理が混沌の中にある主要な、第一義の原因であります。


師観のブログ 摂理の中心国家は日本です。

カナダのトロント大学の神学者、ハーバート・リチャードソンが文師に、「あなたはメシヤですか」と問うた時に、文師は「メシヤとは、思いを尽くし、心を尽くし、魂を尽くして、地上に神のみ旨を成そうとする人のことをいう。

私もメシヤになろうとしているし、あなたも、あなた方みんなメシヤにならなくてはならない。」と答えたといいます。


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ところで、文師のこのようなメシヤ理解、すなわちメシヤ観は聖書的に正統なメシヤ観なのでしょうか。そうです、これこそが旧約聖書の中に39回も登場してくる、神が聖典である旧約聖書を通して示された本来のメシヤ、“油を注がれた者”の概念なのです。


そして、神学者はこれを機能的メシヤと呼んでいるのです。ちなみに、現代神学者たちは、イエスについてのメシヤ概念を、ニカイヤやカルケドンの信条を通して見るのではなく、史的イエスからその概念を見出そうとしています。


そのメシヤ概念は、存在論的なもの、すなわちメシヤをある特定の神的存在である個人ではなく、来るべき神の国をこの地上にもたらす、機能的な概念なのです。


 さらに、「神のみ旨をなそうとする人」がメシヤであるというメシヤ観は旧約にも新約にも当てはまるので、新旧のギャップがなくなるのです。


師観のブログ メシヤとは何か


メシヤとはヘブライ語で「油を注がれた者」を意味し、それをギリシャ語訳したのがキリストです。もしメシヤという言葉を使うなら、今やそれぞれが神の任を受けたメシヤであり、もし何かが世界平和への道を阻害するというのなら、鶴子だろうが教主だろうが、駆逐していかなければならない。