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朝鮮:反日教育の弊害 ~独立門の意味、知ってる?~

在日朝鮮人はキリトリとデマが多い。根っこは嘘に根差した反日歴史教育。
以前とりあげましたが、この御人は統一教会シンパの方。最近の統一教会は、朝鮮学校、朝総連の歴史観(日本の侵略)と全く同じになってきており、だからこういう人間が現れる。
もしかして韓国が中国の属国だったことを知らないのかも。


1894年と言えば、東学党の乱が起こった年。当時、国民は無能で残酷な閔妃と、彼女の一族によって徹底的に籠絡されていたから、こういった乱が起きた。
そこで朝廷は、主国・清に鎮圧軍派兵を要請。
これにより、日本は日清戦争へと突入していく、そういう背景。
そして、日清戦争での日本の勝利。
李氏朝鮮は1897年、国号を大韓帝国に変更。1905年、日本の保護国となり、日本人統監の支援の下で、自ら近代化への道を歩み始めた。
これが大きな流れで、かつて李朝に反旗を翻した東学党の流れをくむ人々が「一進会」を結成、日本との合邦運動に立ちあがり、「日韓合邦」の請願書を出したことが、日韓併合に関する大きな始まり。


以下、こういう洗脳の深い朝鮮人が、次世代にも影響を及ぼす。

https://twitter.com/ekesete1/status/1674275633692811265


小難しく書いてるけど、単なる反日朝鮮人によるキリトリ。
この人、日清戦争自体を、侵略・植民地支配と言っているのか?
きっかけを作ったのは閔妃とも言える。日本が手を下さなくても、自国民に殺されていただろうと指摘する者も多い閔妃をどう捉えているんだろう?


日清戦争を侵略戦争という者はいない。
日本は天津条約により、自国民を保護するため、朝鮮に軍隊を派遣しただけなのだから。
やはり朝貢国としての中国に対し、未だ属国として在りたいのかもしれない。だとしたら、あの清朝からの独立を記念した独立門の意味は何なのだろう?
最近の学生は、日本からの独立と勘違いしているとも聞く。これらが反日教育の弊害。真の歴史を誰からも教えられていないから、国際舞台でも迷走する。


迎恩門とは

実はこの迎恩門は朝鮮の屈辱の歴史の象徴なのです。

朝鮮では紀元前3世紀頃、中国の漢(かん)時代初期に衛氏朝鮮が冊封(さくほう・植民地のこと)されて以来、1895年に日清戦争で日本が清を破り、下関条約によって朝鮮を独立国と認めさせるまで、ほぼ一貫して中国の冊封国(植民地)でありました。


実は、迎恩門は、李朝を通じて、明、あるいは清の皇帝の勅使(ちょくし)がソウルを訪れたときに、朝鮮国王がそこまで迎え出て、勅使に対して九回叩頭する礼を行なう場所だったのです。

朝鮮国王が、中国からの勅使(使者)を迎えるにあたり、朝鮮国王が土下座をして9回頭を地面に打ち付けて出迎える儀式の事です。


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清国からの独立

日清戦争により日本が清に勝利し、下関条約にて清の冊封体制からの李氏朝鮮の独立を認めさせました。

これにより李氏朝鮮は清の支配から解放され、自主独立国家として歩みだすことになります。

その記念として清への服属の象徴の一つであった迎恩門を壊します。

そしてすぐ隣に独立の記念に建設された門が独立門なのです。

朝鮮は、自分達の力で独立を果たした訳ではなく、日本の成果によって独立を手に入れたのです。


驚天動地の中国の敗北から親ロシア政策へ


王の外戚という地位を利用した安東金氏(あんとうきんし)の60年に亘る勢道政治(1800-1863)。高宗(コジョン)の正妃で、その後を継いだ驪興閔氏(れいこうびんし)一族の売官売職と良民に対する搾取。


特にこれらが、朝鮮の官僚システムを根こそぎ壊した。

能力のある人材を選出する科挙制度は無力化し、中央の権勢家たちは金をもらって官職を売ることが日常茶飯事であったため、金で官職を買った人間たちは元金を取るために民を搾取し、その結果、全国的に民乱が絶えなかった。

1894年甲午年、古阜郡守趙炳甲(チョ・ビョンガプ)の貪虐に耐えかねた農民たちが蜂起した。


東学農民軍は湖南地域を拠点に、瞬く間に全国にその勢力を拡大した。当時、国政は無能な上に残酷ですらある閔妃と、彼女の一族によって徹底的に籠絡されていた。

しかも自らの力で、東学軍を鎮圧できなかった朝廷は、主国・清に鎮圧軍派兵を要請。


清の軍隊が出兵すると、1884年の甲申政変後、日清間で締結された天津条約により、日本も自国民を保護するため、朝鮮に軍隊を派遣した。これを機に、清国と日本が朝鮮の地と海で一戦を交えた。日清戦争である。


19世紀後半の韓国(朝鮮)を率いていた王妃・閔妃(びんひ)は、女性独裁者として政治を思うがままに動かしていました。自分に従わない者は容赦なく弾圧し、処刑もためらわない恐怖政治。同時代を生きた福澤諭吉はそんな朝鮮を「地獄」と呼び、国交を断絶すべしと『脱亜論』に著します。日清戦争やロシアの三国干渉など、歴史的な出来事にも関わっている閔妃の狂気ぶりを振り返り、昨今の日韓関係を考えます。


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最終的に、閔妃は内乱に巻き込まれ、1895年、暗殺されます。誰が閔妃暗殺の首謀者だったのかということについて、史料に乏しく、はっきりとしたことはわかりません(大院君首謀説、三浦梧楼首謀説など諸説あり)。よく教科書や概説書では、「朝鮮公使の三浦梧楼によって暗殺された」と断定されますが、根拠不十分である限り、そのような断定は不当です。韓国がそのような説によって、一方的に日本を断罪するのはわかりますが、日本の歴史教育がそれに迎合するというのは恥ずべきことです。因みに、韓国では、「慈悲深き国母である明成皇后(閔妃のこと)を日本人が無惨に殺した」と教えられています。




真の歴史を教えられていない反日朝鮮人のために簡単に書いておきました。
閔妃(びんひ)殺害に関しては、誰が暗殺の首謀者だったのか、はっきりわかってませんが、国際勝共連合の太田洪量(元会長)氏は、日本と断定して反日内容の講演をされてますので、おそらく氏は在日でしょう。統一教会は終了しているのが確認できます。