死の壁を砕け!

赤い侵略とグローバリズムから皇国日本と世界を守る

捏造歴史、WGIPからの解放。反キリスト軍ソロス、ディープステート、イエズス会、家庭連合(旧統一教会)、そして支那との戦い。

テロ組織PKKを支持するクルド人&辛淑玉

拡散希望案件ということで、扱っていきます。
また辛淑玉が出てきた。
あと、クルドとテロ組織との関係も見えてきたので、要注意。

石井孝明(Ishii Takaaki)@ishiitakaaki

クルド人問題ですが2011年の日仏会館の公園で、辛淑玉という活動家が、政治家に200万円献金し、クルド人難民を2人救ったという不気味なことを言っています。

これは違法であり、事実なら政治家もスキャンダル。

クルド人をめぐる変なネットワークの存在がまた見えました。

拡散希望です

https://twitter.com/ishiitakaaki/status/1719106953459482734


石井孝明(Ishii Takaaki)@ishiitakaaki

1・日仏会館は異常ですね。こんな講演

2・辛淑玉は発言がおかしいので、献金で難民が救えるわけないのですが。民主党政権ークルド人ー日本の人権活動家の違法性のあるつながりを、中の人間本人が告白しています

TAŞRALI Samurai🇯🇵@7thPick

以前日本を訪れたことのあるトルコ人として、日本に住むクルド人についてお話したいと思います。


日本とトルコの間の協定によれば、トルコ国民は観光客として日本に最長3か月滞在することができる。

クルド人はトルコのパスポートを保持している。すべてのトルコ人と同様に、彼らも実際にはトゥルキエ共和国の国民です。


クルド人はトルコのパスポートを持ってトルコから日本に来て、一般の観光客と同じように日本に入国します。

観光ビザが期限切れになると、彼らは日本への亡命を求めます。

クルド人は、トルコ国家がクルド人を虐待していると嘘をついて亡命を求めている。

日本に避難したクルド人は嘘をついている。

クルド人はトルコ人が持つすべての権利を持っています。


現在、トルコ共和国にはクルド人の閣僚がたくさんいます。

トルコ共和国の外務大臣、経済大臣、副大統領はクルド人である。

トルコ共和国はクルド人を虐待していません。

クルド人は拷問を経験しない。彼らはすべての権利を持っています。

日本に来るクルド人はテロ組織を支援するクルド人です。日本のクルド人は非常に危険な人々です。


日本に住む逃亡クルド人は日本にとって大きな危険となっている。

クルド人は日本の社会秩序を破壊している。

クルド人は日本で多くの女性を強姦した。

クルド人は日本で何度も戦闘を行い、日本人を負傷させた。

日本が安全な国であり続けるためには、日本にいるクルド人を強制送還しなければなりません。

#クルド

https://twitter.com/7thPick/status/1680045515558494209


Spiral Shell@conch_222

貴重な発信をありがとうございます。

日本に来るクルド人がPKKというテロ組織支持者であることが多く、危険なことはもっと周知されてほしいです。

(トルコ国内のクルド人やクルド人全員が危険という意味ではありません)

川口市ではためくPKKの旗(赤い地色+緑と黄色の円+赤い星)

https://twitter.com/conch_222/status/1680136847576694784


papa5525@papa5525jad

https://twitter.com/papa5525jad/status/1719177063180210558

Wiki要約

辛 淑玉(シン スゴ、日本名:新山 節子(にいやま せつこ)


1959年1月16日、東京都生まれの在日韓国人3世。

「4歳の頃、『朝鮮人は幼稚園に入園できない』と拒絶されたことを契機に、自身を朝鮮人であると強く自覚するようになった」という。


8歳の頃に近所の店で駄菓子を万引きした際、定期券に書かれていた朝鮮名が店主にバレたため、朝鮮系への偏見が広まることを恐れ「日本名にしておけばよかった」と思ったと語っている。



辛の父母は彼らの親戚の家に預けられたため、様々な家を転々とした。この時代について、辛は叔父たち親戚が贅沢品を食べている隣室で食事をもらえずに放置されていたとし、当時のことを「惨めだった。」と振り返っている。


「朝鮮学校は、貧しい人にはちゃんと昼食を支給します」の言葉を信じ、朝鮮学校に転校。しかし、朝鮮学校では「非朝鮮学校からの転校者」は「敵国から来た」と考えられており一番の激しいいじめの対象となり、「思想的に問題がある」と叩かれた。特に朝鮮語が話せなかった辛は「総括」の時間に、先生が「今日、日本語を話した人」と聞くと同級生らが、辛が日本語を使う度に毎日と糾弾・密告した。密告を受けた朝鮮人先生からは日本語を使ったことを知られる度に暴行を受けていた。


そして、朝鮮学校では半日本人(の在日)を意味する蔑称である「パンチョッパリ」と呼ばれ、"総括"と呼ばれる反省会の場で毎日のように自己批判をさせられた。朝鮮学校教師から面白半分で指示されたキムという男子生徒による蹴りによって、一回目の椎間板ヘルニアになった。後に放逐されるまで通い出すものの、これをきっかけに、本格的な朝鮮学校への不登校となった。このように朝鮮学校における暴力被害で「殺される」という恐怖までいかないと、朝鮮学校に通わないということができなかったと語っている。不登校になっても親には何も言われなかったことについて、辛は朝鮮民族の信じる儒教では「女が学問を積む必要はない」と考えられているために、女の自分は学校に行かなくても勉強しなくても怒られたことがなかったと解説している。


その後に辛はジーパン(北朝鮮の敵国アメリカ合衆国発祥の服)を履いていたというだけで暴行された。この時の暴行で辛はヘルニアを患っている。朝鮮学校への登校拒否について伝えたが聞く耳をもたなかった父親は、「相手方の意見を聞くという」という姿勢のみで、担任の朝鮮学校教師には話を聞き、学校側の「あの子はウソつきだ」との主張を信じた。淑玉は父の人物評について、相手の話を聞く「リベラルのような振る舞い」をすると批判している。



中学生の頃、美容室のヘアモデルで収入を得たのをきっかけに、ヘアショーにも出るようになった。泉南中学校卒業後は東京都立第一商業高等学校に入学し、在学中は新宿区の焼肉料理店「名月館」などでアルバイトをして学費と生活費を稼ぎながら、代々木ゼミナールと代々木学院に通学したという。


17歳で銀座のモデルクラブに所属し、翌年映画のエキストラ出演で知り合った「DJ」に音楽の仕事を紹介してもらい、しばらくモデルと兼業した。20歳の時、博報堂で契約社員(特別宣伝班)となるが、夜間はアルバイトを続けた。1983年頃にフリーランスの広告業者として独立。この頃から、本名(辛淑玉)を名乗るようになった。1985年、人材育成会社(株)香科舎を設立。


川崎がヤバイね。
政治家の愚策のおかげで、いよいよ日本は、テロと直面するようになってきた。
こうも掻きまわされ、いったい政治家は何をやっているんだろう。